継体天皇陵の西隣にある。集落奥の竹林の中。 呉の勝(すぐり)が韓の国から渡って来て、始め紀伊の国の名草の郡の大田の村に着いた。その後、分かれ来て摂津の国の三島の大田の村に移って来た。 これが中臣太田連を称した、恐らく創建当時は、中臣大田連の祀神として天児屋根命一座が祀られていたと思われる。 当地は戦国時代しばしば戦乱の巷となつたため、兵火の災に遭い、社殿記録を失い、由緒沿革の明確を欠き、したがつて祭神に変遷のあつたことがうかがわれる。 。 |
太田神社 太田の地は中臣氏の一族、太田連の地といわれており、最初は中臣氏の祖神、天兒屋根命を祀っていたと思われます。祭神は天照皇大神、速素盞鳴命、豊受皇大神が祀られています。 太田茶臼山古墳の西側にあり、鬱蒼とした木々に囲まれた約644坪の境内には、本殿・拝殿・石灯籠などの他に、天神社・稲荷神社もあります。また本殿裏には、継体天皇崩御の際に殉死した人が葬られていると思われる陪冢(ばいちょう)があります。 茨木市HP |
大田神社 大田は於保多と訓べし○祭神猿田彦大神○大田村に在す、土俗太神宮と称す、(祭神伊勢八幡住吉三座といふは誤りなるベし) 類社 山城國愛宕郡大田神社の條見合すべし、 神社覈録 |