太田神社
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   【延喜式神名帳】太田神社  鍬靫 摂津国 島下郡鎮座

   【現社名】太田神社
   【住所】大阪府茨木市太田3-15-1
       北緯34度50分39秒,東経135度34分36秒
   【祭神】素盞嗚尊 天照皇大神 豊受皇大神 (配祀)少彦名命
       『神社覈録』猿田彦大神
       『摂陽群談』に伊勢・八幡・住吉の3神

       「中臣大田連」の本貫地と見られることから、本来は中臣氏祖神・天児屋根命が祭神だったと見られている

   【例祭】12月10日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】明治5年(1872)村社
       貞観元年(859)正月27日正六位上から從五位下に進階『三代実録』
       貞観8年8月14日正六位上から從五位下
       貞観18年閏4月7日從五位上に進階

   【関係氏族】中臣大田連
       新撰姓氏録摂津國神別に「中臣大田連天児屋根命十三世孫御身宿禰之後也」とある

   【鎮座地】移転の記録は無い

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「太神宮」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿・手水舎

   【境内社】天神社・稻荷神社

継体天皇陵の西隣にある。集落奥の竹林の中。
呉の勝(すぐり)が韓の国から渡って来て、始め紀伊の国の名草の郡の大田の村に着いた。その後、分かれ来て摂津の国の三島の大田の村に移って来た。
これが中臣太田連を称した、恐らく創建当時は、中臣大田連の祀神として天児屋根命一座が祀られていたと思われる。
当地は戦国時代しばしば戦乱の巷となつたため、兵火の災に遭い、社殿記録を失い、由緒沿革の明確を欠き、したがつて祭神に変遷のあつたことがうかがわれる。



太田神社

太田の地は中臣氏の一族、太田連の地といわれており、最初は中臣氏の祖神、天兒屋根命を祀っていたと思われます。祭神は天照皇大神、速素盞鳴命、豊受皇大神が祀られています。
太田茶臼山古墳の西側にあり、鬱蒼とした木々に囲まれた約644坪の境内には、本殿・拝殿・石灯籠などの他に、天神社・稲荷神社もあります。また本殿裏には、継体天皇崩御の際に殉死した人が葬られていると思われる陪冢(ばいちょう)があります。

茨木市HP



大田神社

大田は於保多と訓べし○祭神猿田彦大神○大田村に在す、土俗太神宮と称す、(祭神伊勢八幡住吉三座といふは誤りなるベし)
類社
山城國愛宕郡大田神社の條見合すべし、

神社覈録



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