丘の上の神社。見晴らしがよい。 雄略の代に伊勢神宮の斎宮である倭姫の教示により、岡本豊足彦が5柱の皇大神を奉祀すべき地を求めて、ついにこの地に祀ると伝。 伊射奈岐神社の創建は当社・佐井寺社であって、山田のそれは当社から別れたものとし、当社を奥宮と称し、山田の社を姫宮と称したと伝。 式内社復元に奔走した並河誠所が、春日社を式内社・伊射奈岐神社として指摘したことから社名が変わったという。 |
由緒 21代雄略天皇22年(478)9月、豊受大神(伊勢外宮)を丹波国与謝郡真奈井の原より伊勢国渡会郡山田の原に御遷座の翌年(479)9月、天照大御神の御神託を受けた伊勢斎宮皇女倭姫の御教により、この佐井が原に伊射奈岐、伊射奈美両大神をお祭りしたのが、本神社の始まりとされている。 清和天皇貞観元年(859)正月27日、「伊射奈岐神従五位上を授かった」と日本三代実録に記されている。 貞観から延喜年間に伊射奈美大神を東北の地(山田伊射奈岐神社)に御遷座、これを姫宮と称し、本社を奥宮と称した。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
伊射奈岐神社 当社は延喜式神名帳に搭載されている伊射奈岐神社2座の御社の1座がこの神社である。人皇第21代雄略天皇22年(478)9月豊受大神を丹波国与謝郡真奈井の原より伊勢国度会郡山田の原に御遷座の翌年(479)9月天照大御神の御神託を受けた伊勢斎宮皇女倭姫のお教えによりこの佐井が原に伊射奈岐、伊射奈美両命をお祭りしたのが当社の始まりとされている。清和天皇の貞観元年(859)正月27日伊射奈岐神社従5位上を授かったと日本三大実録に記されている。 貞観から延喜年間に伊射奈美大神を東北の地に御遷座これを姫宮と称し本社を奥宮と称した。現在は佐井寺、佐竹台、津雲台・・・・などの鎮守である。 社頭掲示板 |
伊射奈岐神社 二座 伊射奈岐は假字也○祭神伊弉諾尊、伊弉册尊、〇一座山田荘小川村に在す、今五社と称す、 一座同荘佐井寺村に在す、今春日と称す(摂津志) 類社 大和國添下郡伊射奈岐神社の條見合すべし 神位 三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授摂津國從五位下伊射奈岐神從五位上、 神社覈録 |