安威川の南岸に接し、東中学校の東北に鎮座する。 本来はこの地を本貫とする牟礼別の祖である大中津日子命を祀つたものであるが、戦国時代織田信長が諸国の神社を焼いたとき、それを逃れるために午頭天王・春日神を祀ったのが祭神となった。 中古牟礼部落の東方にあつたが、宝永元年(1704)11月に字中村に奉遷した。 昭和14年安威川改修のため、境内地は全部川敷に充当せられた結果、同年8月1日現在地に移転。 境内に「式内牟禮神社」の石碑と神社跡がある。 本殿・拝殿は、慶長11年(1606)片桐且元の建築した生國魂神社の末社北向八幡宮の建物を譲り受けたものである |
牟禮神社 牟禮は假字也○祭神詳ならず○戸伏荘中村に在す、牟禮村も亦其祭に預る、(摂津志) 古事記、(垂仁段)大中津日子命者、(垂仁天皇皇子)牟禮之別等祖也、 類社 伊勢國多氣郡牟禮神社 神社覈録 |