この地は茨木川と安威川にはさまれた低湿地である、北300mに彌生時代から室町時代にかけての複合遺跡である東奈良遺跡がある。 祭神加具土神は火の神であり、東奈良遺跡は、彌生時代に銅鐸などを鋳造する所であつたと考えられるが、これが火の神として祀られるやうになつたとも考えられる。 |
由緒 当社は延喜式神名帳に記載された式内社で沢良宜郷の通称「大宮さん」であります。 万博を機に阪急南茨木駅を開設ビル建築や小川改修が行われた昭和48年春から49年秋にかけて、弥生時代の銅鐸鋳型を始め住居跡や土器土拡墓など多数発見されたところホヤホヤの新住居表示をそのままに東奈良遺跡と命名されたのです。 カグツチはカグの神、カグは銅の古語、サワラも銅器を指すので地名と神名が一致し(ギはムラ)この鋳造工房跡は約二千年前にこの地にあった「さわらぎ遺跡」と確認され出土品はすぐ近くの文化財資料館に展示されています。 境内社の八幡宮は沢良宜城の鎮守社で六百年前、足利初期の城館。早く退転して農地となり今は美沢高層住宅地となっています。 神は人の敬によって威を増し人は神のめぐみによって運を添う 昭和61年10月 責任総代高島好隆撰 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
佐和良義神社 佐和良義は假字也〇祭神早良臣祖神歟○西澤良宜村に在す、(宜モ義モ、古クハ祁ノ假宇也、と信友云リ、)○古事記、(孝元段)平群郡久宿禰者、佐和良臣祖也、』姓氏禄、(河丙國皇別)早良臣、平群朝臣同祖、武内宿禰男平群都久宿禰之後也、 神社覈録 |