佐和良義神社
さわらぎじんじゃ 所在地ボタン 社名ボタン















   【延喜式神名帳】佐和良義神社 摂津国 島下郡鎮座

   【現社名】佐和良義神社
   【住所】大阪府茨木市美沢町9-27
       北緯34度47分58秒,東経135度34分10秒秒
   【祭神】加具土神
       『神名帳考証』『神社覈録』佐和良臣祖
       『摂津志』『摂陽群談』『橘津名所図会』澤良宜村の産土神

   【例祭】10月17日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創建の年代は明らかでない
       明治5年(1872)村社
       同40年8月23日強雨出水社殿流失
       大正5年5月28日神饌幣帛料供進社に指定
       大正6年本殿、拝殿、器具庫を再建

   【関係氏族】佐和良臣
       新撰姓氏録に「早良臣、平群朝臣同祖、武内宿禰男平群都久宿禰之後也」

   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】氏祖/火の神
   【祭祀】
   【社殿】本殿春日造
       拝殿・神器庫

   【境内社】八幡神社

この地は茨木川と安威川にはさまれた低湿地である、北300mに彌生時代から室町時代にかけての複合遺跡である東奈良遺跡がある。
祭神加具土神は火の神であり、東奈良遺跡は、彌生時代に銅鐸などを鋳造する所であつたと考えられるが、これが火の神として祀られるやうになつたとも考えられる。


由緒

当社は延喜式神名帳に記載された式内社で沢良宜郷の通称「大宮さん」であります。
万博を機に阪急南茨木駅を開設ビル建築や小川改修が行われた昭和48年春から49年秋にかけて、弥生時代の銅鐸鋳型を始め住居跡や土器土拡墓など多数発見されたところホヤホヤの新住居表示をそのままに東奈良遺跡と命名されたのです。
カグツチはカグの神、カグは銅の古語、サワラも銅器を指すので地名と神名が一致し(ギはムラ)この鋳造工房跡は約二千年前にこの地にあった「さわらぎ遺跡」と確認され出土品はすぐ近くの文化財資料館に展示されています。
境内社の八幡宮は沢良宜城の鎮守社で六百年前、足利初期の城館。早く退転して農地となり今は美沢高層住宅地となっています。
神は人の敬によって威を増し人は神のめぐみによって運を添う
昭和61年10月 責任総代高島好隆撰

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




佐和良義神社

佐和良義は假字也〇祭神早良臣祖神歟○西澤良宜村に在す、(宜モ義モ、古クハ祁ノ假宇也、と信友云リ、)○古事記、(孝元段)平群郡久宿禰者、佐和良臣祖也、』姓氏禄、(河丙國皇別)早良臣、平群朝臣同祖、武内宿禰男平群都久宿禰之後也、

神社覈録



摂津国INDEXへ        TOPページへ



順悠社