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豊川小学校の西、関西電力学園の東に鎮座する。 この附近一帯は、早くから中臣氏、後の藤原氏の本貫であつたとされており、天平12年(740)4月5日大中臣清麻呂がその住居の附近にその祖神を祀ったのが始まりとされている。 その後の変遷については、なんら伝わるものがない。 神名帳には二座とあり、当社はその一つであり、いま一座は宿久庄山にある須久久神社である。 伝承によれば本来この社が中心であつたようである。 |
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元式内須久久神社 春日神社 御祭神 主神 天児屋根命 相殿 武甕槌命・経津主命・比売大神 由緒略記 鎌倉時代の初期の著作である神宮雑例集によると第45代聖武天皇の天平2年(740)4月5日右大臣大中臣清麻呂は位を退いて摂津国島下郡寿久郷に隠退し奈良の春日神社を寿久山に奉祭したと記している。大中臣清麻呂は藤原鎌足の従兄弟の孫にあたる人であり、寿久郷は現在の宿久庄清水付近である。この時清麻呂は一座を縁深い須久久山に、一座は清浄な春日山に祀ったと思われる。共に地名を取って須久久神社と称した。 今よりおよそ1050年前に編纂された延喜式神名帳には「須久久神社二座鍬靱」と記載され鍬靱を奉献した格式の高い神社となっている。中世以降茨木地方は藤原氏の勢力が強かったためか本神社は春日神社と称するようになった。しかし江戸末期ごろより再び須久久神社と改称したが近年また春日神社と改めて現在に至っている。 社頭掲示板 |