元境内社の磯良神社(疣水神社)が南にあり、そこに当神社が鎮座していたが、現社地に遷座した。 磯良神社の北、171号線に面して鎮座している。 磯良神社は新屋坐天照御魂神社の境内社であったが、今や母屋を占拠している。これはひとえに「玉の井」(疣水)の効用である。「疣、黒痣を洗えば、忽ちにして抜け落ちる」とされている。井保桜も有名であった。 寛文9年(1669)、旧社地の西北隅に当たる現在の境内地に奉遷した。 |
新屋坐天照御魂神社 主祭神 天照御魂神(天照国照彦火明命) 祭日 一月一日歳旦祭 五月十日春祭 十月十五日例祭 由緒 当社は延喜式神名帳(927年成立)に記載された古社である。当地西河原の周辺はその昔新屋郷といわれ、遥か古代から天照御魂神がお鎮まりになった。名神大社の中でも相嘗祭に朝廷から幣帛を奉られた式内社最高の社格で、府下には数社あるにすぎない。 天正(1573−92)の頃までは神域広大、神事も盛んに行われ、近隣七ヵ村の産土神として崇敬された。 しかし戦国争乱等により衰運に傾き、寛文9年(1669)社殿は旧神域の西北隅にあたる今の社地にうつり、同12年現社殿が新しく造営された。 現在、本社には主祭神のほか天児屋根命・建御名方命を相殿に祀り、境内社には八幡神・住吉神・磯良神を祀る東之神社、速素盞鳴尊を祀る須佐神社、宇賀御魂神を祀る稲荷神社がある。 社頭掲示板 |
磯良神社由緒略記 通称(疣水神社) 磯良神社の本宮とも申すべき新屋坐天照御魂神社はその創祀の年代は詳らかではありませんが、延長五年(九二七)に成った「延喜式」に「新屋坐天照御魂神社 三座 並名神大。月次新嘗。就中天照御魂神一座預相嘗祭」とあり、延喜式内社のうち特に霊験あらたかな神に与えられた名神の称を受ける旧三島郡唯一の大社であります。三座のうち天照御魂神一座は朝廷より相嘗祭に幣帛を奉られる四十社七十一座に加えられ、当時非常に格式高い神社であったことがうかがわれます。 なお、大同元年(806)、神封一戸を寄せられ、貞観元年(859)、天照御魂神に従四位下が授けられています。 天正(1573〜1592)以前は、神域も広大であって、近隣七か村の産土神として崇敬も篤く、神事も盛大に執り行われていましたが、天正以降社領を失い、神域も縮小され、神事も振るわなくなったと伝えられます。寛文9年(1669)、旧社地の西北隅に当たる現在の境内地に奉遷し、同12年に社殿を造営して今日に至っています。 由緒書 |