芥川南岸に接して鎮座している。本殿の背後が河川の土堤となつており、氾濫の際には被害をまぬがれなかつたと思われるが、鎭座地の移動の記録はない。 この地は阿久刀連の居住地で、その始祖を奉斎した社であったと思われる。 当社に伝わる旧記によると、祭神を羽山戸神と大菊都比売との間に生まれた御子秋比売神としている。 境内の東北隅に、ムクノキの「御神木」がある。 この木には古くから神霊が宿るという言い伝えがあるようで、学力向上、子宝、諸病の病、苦難など祈念して、「和魂、幸魂、奇魂(にぎみたま、さちみたま、くしみたま)」と三唱すると霊験あらたかであるという。 平成元年3月に高槻市の保護樹木に指定されている。 |
阿久刀神社 阿久刀神社は、十世紀に編纂された「延喜式神名帳」記載の式内社で、住吉大神を祀り、住吉神社ともいわれる。 創建の年月は不詳であるが、永禄年間(十六世紀)に三好・松永氏の兵火で焼失、その後再建され、明治維新(1868)後、近在の諏訪神社、大将軍社等が境内社として当地に移転された。 社名は、「新撰姓氏録」(814編纂)にある阿刀連によるという説があり、芥川の地名もこれに因むといわれる。 落ち着いた境内から、盛時が偲ばれる。 平成元年3月 高槻市教育委員会 社頭掲示板 |
阿久刀神社略記 一、鎭座地 高槻市清福寺町23−2 一、神社名 旧式内社 阿久刀神社 一、御祭神 住吉大神 底筒男命ソコツツオノミコト 中筒男命ナカツツオノミコト 表筒男命オモツツオノミコト 一、御神.徳 除災招福・寿命長久・空・陸・海路守護諸業繁昌 ◎御三神を以って住吉の神と申し上げ、伊弉諸命筑紫の日向の橘の小戸に御契除い給ふ時化生せる神(古・記)にて海底を守り、濁穢(けがらはしき)ものを清め海路にありて人々を守護。 衆知の神功皇后三韓征代(西暦300年)給ひし時、海神珠玉をもって現われ、御船を守護。 征途を守り給ふ御功績著しき神です。 ◎旧式内社とは醍醐天皇延長5年(西暦927年)に成った、国家の法の定める神祇・神社に関する古書「延喜式巻十」神名帳巻九に記載社官幣・国幣社共3132座がきめられました。 当社はその内の一社にて、古しえより格式高き社です。 創建の年月は不詳ですが、右の神名式内社に載った以前より神社として(約千年前)にあった事はたしかです。 摂津志(文政)大阪全志(明治)に依ると、国神(くにつかみ)を祖とする神饒速日命(カミニギハヤメノミコト)の子孫阿刀連(あくのむらじ)此の地にあり、朝廷に任える身分高き人の領地にて芥川もその転字なりとあります。 飛鳥・天平(奈良)時代に阿久連の氏神として住吉の社を建立、民人共に人情風地豊かな、境内老楓枝を支えて芥川の渓流に映え榮えた土地だった事と想われます。その後、戦国時代(西千五百六十年)三好・松永の兵焚に羅り烏有に帰し、其の後文政十一年(寺社家宝物・汁物・田畑書上帳)に載っている所から今の本殿・拝殿が再建されたものと考えます。又載帳に元住吉の除地にして東西拾三間、南北九間、馬場筋三間半、二拾四間あったとあります。 明治5年の記には約400坪程と記されて居ります。 一、末社 稲荷社 祭神 豊受大神(伊勢外宮の神) 一、境内社 明治五年神社整地(神佛分紀令)の際各字内より移転 一、五社神社(前之内) 祭神 天照大神・大産霊神・市杵島姫・八幡大神・菅原大神 一、諏訪神社(殿之内) 祭神 建御名方神 一、小島神社(西之内) 祭神 市杵島姫 一、五社神社(清福寺) 祭神 天照大神 素盞鳴命・天児屋命・八幡大神・仁徳天皇 一、大将軍社(柳原) 祭神 武甕槌命 一、荒神社(観音寺) 祭神 奥津比売命・塩山昆売命・加具土命 一、大将軍社(清福寺) 祭神 武甕槌命 阿久刀神社々務所 電話(81)6662番 由緒書 |
阿久刀神社 高槻市を南北に流れる芥川。郡家・真上境付近で大きく流れをかえる川を背にして阿久刀神社が鎮座しています。この地は清福寺町にあたり、古代山陽道、母なる河淀川に面した最奥にあります。 阿久刀神社は平安時代に編纂された『延喜式』(927年成立)に記載されている律令時代の式内社です。これまでの発掘調査では、縄文時代から奈良・平安時代、そして中近世へと続く人々の生活跡が発見されています。 なかでも、奈良時代の郡役所・嶋上郡衙(ぐんが)跡などがみつかり、一帯が古代の三島の政治・経済の中心地だったことが明らかになっています。当時の三島を支配していたのは、大王家とのつながりの深い「三島県主(みしまのあがたぬし)」一族。この地は県主一族の本拠地であり、ここに鎮座する阿久刀神社は、本来はその守り神(氏神、うじがみ)だったにちがいありません。 祭神については、いくつもの伝承があります。9世紀の系図集『新撰姓氏録』に登場する、養蚕機織にたずさわった調連(つきのむらじ)一族の「阿久太」という人物や、『古事記』が安寧天皇の妃とする「阿久斗比売(あくとひめ)」、物部氏に連なる豪族「阿刀連」をまつったとするもののほか、諏訪明神(すわみょうじん)や久度神(くなどしん)など、さまざまです。いずれにしても、もともと氏神だったものが、やがて地域の人びとがこぞってお参りする村の守り神へと変化していったのでしょう。 ところで芥川の名前の由来ですが、川が阿久刀神社のそばを流れていることから、阿久刀川(あくとがわ)と呼ばれていたようです。きっと音が変化して芥川(あくたがわ)といわれるようになったのでしょう。 神社境内の東北隅には、神霊が宿ると言い伝えられている「御神木」があります。年代を経たムクノキの大樹で、平成元年(1990)に市の保護樹木に指定されています。 高槻市インターネット歴史館 |
阿久刀神社 阿久刀は假字也○祭神詳ならず○芥川村に在す、(摂津志) 摂陽群談に、土俗住吉神卜云り、此社ハ、信濃國諏訪郡ニ祭神、建御名方富命、八坂入姫命也、因テ諏訪大明神卜號ス、と云り 神社覈録 |