府立労働会館の東向かいにある。 西向の小祠の前に鉄柵で覆われた神功皇后の鎭座石と称する巨石がある。もとはこの上に本殿があった。豊磐間戸・奇磐間戸二神を奉齋している。「石町(コクマチ)」の地名はこの鎭座石に由來している。 いわゆる河内王朝初期の事として「住吉大神の御魂として、為婆天利神あるいは猪加志理神と号すと託り給ひき。よって斎き祀らしめ・・」と住吉神社神代記にあるように、鎮座地はこの王朝にとっては聖地であった。 旧社地より一旦淡路町附近に遷座し、その後現在地に移ったともいわれる。 |
坐摩神社行宮 坐摩神社行宮 豊磐間戸・奇磐間戸神社由緒 是地は坐摩神社の旧鎮座地であって、天正11年(1583)豊臣秀吉大阪城築城に当る為、現在の大阪市中央区久太郎町四丁目に遷座されるまで当地に鎮座したもうた。 社傳によると神功皇后が新羅よりご帰途の折この地に坐摩神を始めて奉斎され、また石上に御休息されたと伝えている。 今も境内に鎮座石が残り、故にこの地を石町と称すともいう。 平安朝、熊野詣が盛んとなり、京都から摂津、和泉を経て熊野本宮に至る熊野古道沿いに熊野王子社が数多く設けられたが、淀川を船で下り最初に参詣する第一王子とも呼ばれる渡辺王子(別名:窪津王子)社のもとの鎮座地と云う。 社頭掲示板 |