坐摩神社行宮
いかすりじんじゃあんぐう 所在地 社名















   【延喜式神名帳】坐摩神社(大 月次/新嘗) 摂津国 西成郡鎮座

   【現社名】坐摩神社
   【住所】大阪市中央区石町2−15
       北緯34度41分22秒,東経135度30分48秒
   【祭神】豊岩間戸神 奇岩間戸神
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】大同元年(806)神戸二戸『新抄格勅符抄』
       応和3年(963)7月、祈雨十一社に列『日本紀略』
       貞観元年(859)従四位下『三代実録』
       貞応2年(1223)12月に神門・荒垣焼亡『百練抄』
       弘長元年(1261)正一位
       平安朝後半より近世に到る間は史料・記録に乏しく、由緒は定かでは無い
       天正11年、大阪城築城に際し移転、行宮となる

   【関係氏族】渡辺氏
   【鎮座地】この地が当初鎮座の地
        天正11年、大阪城築城に際し移転、行宮となる

   【祭祀対象】岩
   【祭祀】継承されている
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

府立労働会館の東向かいにある。
西向の小祠の前に鉄柵で覆われた神功皇后の鎭座石と称する巨石がある。もとはこの上に本殿があった。豊磐間戸・奇磐間戸二神を奉齋している。「石町(コクマチ)」の地名はこの鎭座石に由來している。
いわゆる河内王朝初期の事として「住吉大神の御魂として、為婆天利神あるいは猪加志理神と号すと託り給ひき。よって斎き祀らしめ・・」と住吉神社神代記にあるように、鎮座地はこの王朝にとっては聖地であった。
旧社地より一旦淡路町附近に遷座し、その後現在地に移ったともいわれる。


坐摩神社行宮

坐摩神社行宮
豊磐間戸・奇磐間戸神社由緒
是地は坐摩神社の旧鎮座地であって、天正11年(1583)豊臣秀吉大阪城築城に当る為、現在の大阪市中央区久太郎町四丁目に遷座されるまで当地に鎮座したもうた。
社傳によると神功皇后が新羅よりご帰途の折この地に坐摩神を始めて奉斎され、また石上に御休息されたと伝えている。
今も境内に鎮座石が残り、故にこの地を石町と称すともいう。
平安朝、熊野詣が盛んとなり、京都から摂津、和泉を経て熊野本宮に至る熊野古道沿いに熊野王子社が数多く設けられたが、淀川を船で下り最初に参詣する第一王子とも呼ばれる渡辺王子(別名:窪津王子)社のもとの鎮座地と云う。

社頭掲示板



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