多米神社 旧地
ためじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】多米神社 摂津国 住吉郡鎮座

   【現社名】多米神社 旧地
   【住所】大阪市住吉区長居2-8-1
       北緯34度36分45秒,東経135度30分45秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】創建年代は不詳
       多米連の祖神を祭る
       明暦元年(1655)住吉大社の境内に移

   【関係氏族】多米連
   【鎮座地】この地が旧地
        天正ごろ(1573-92)兵火で焼失
        明暦元年(1655)住吉大社の境内に移
        明治41年~須牟地~社に合祀

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】
   【社殿】
       

   【境内社】

JR長居駅北。住吉長井郵便局南の十字路に面してある。
小さな石祠が在り神須牟地神社の境外末社となっている。
「明暦元年(1655)住吉大社の境内に遷」とあり、また「明治41年~須牟地~社に合祀」ともあり、この間に旧社地に復していたとも言われている。


旧鎭座地

多米神社の跡地として、長居町中二丁目四五に五十坪余の土地があり、石の玉垣に囲まれ、中央奥に「多米社」の石碑が建立されてゐる。台石には菅廣房の銘があり、右側に寺岡村東と刻まれてゐる。玉垣内入口の右側に自然石の碑があり、表面には「延喜式内、多米神社之趾、陸軍大將男爵荒木貞夫書」とあり、裏面には多米社の由緒について平田盛胤の撰文を刻す。即ち、
多米神社は延喜式内の古社たるは申すも更なれど新撰姓氏録に多米連は神魂命の五世の孫天日鷲命の後裔にて多米神社は多米連の創建せられけるにこの地一帯は多米連の領地にして宇迦御魂神を祀りて世々大炊寮に仕へ奉りて供御等を献りたりけるに成務天皇の御世にありていとも良き御供米なるを賞でさせ給ひて多米連の姓を賜ひき。そも多米神社は一名苗見明神、苗見の社あるは種貸明神、種貸宮と称し、又その境域を苗見の森、種貸の森と構へ奉りて古しへより衣食の神とも子宝の神とも崇め奉りて貴き賤しきおしなベて衆庶の尊敬極めて厚かりしに天正慶長の頃兵焚にかかりて社殿神宝など有のことごと鳥有に帰したりしかばやがて官幣大社住吉神社に合祀せられたりしは神祇院明細帳に官幣大社住吉神社境内神社末社苗見社祭神倉稻魂神と見ゆればいと明かなることなるに明暦元年住吉神社の御造営に際りて住吉猪鼻の地に移し奉りて今日に及べりとぞ。是より先元文元年幕府は由緒ある社趾のすさび行くを畏み奉りて幕吏菅廣房を遣して多米社の三字を記せる碑を建設せしめられたりしに今猶存在せり。斯く多米一吐の碑を建てられたる所は多米神社のいとも初めの地になもありける。そも歳月の來経往くままに古しへよりの遺蹟の失はれゆくは世の慣にしあれば我等の遠つ御祖神の遺蹟の失せなむことを憂へしより往末かけて遠長く傳へしめむが爲にとこの碑を建てし故由を一書かくなむ。平田盛胤しるす
昭和十六年辛巳十二月吉日建多米連の氏子



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