住吉大社の境内摂社として、大社境内北に鎮座する。大社宮司の津守氏が大社鎮座以前から氏神として祀ってきた。 津守氏の嫡男は大領氏と称し代々、大海神社の社司となった。また「津守安必登神」とされ「現人神」とされた。 江戸期までは大海社司たる大領氏は此の社の祭を経営するが、坐に著くのみであり、自ら祭祀を行わないとある。 本殿脇には「玉の井」という井戸があり、その底には海幸山幸の物語で登場する「潮満珠」があるといわれている。また、社殿の西方前面は「玉出嶋」の旧蹟で最も神秘な庭とされている。 大海神社の西方は昔は崖をなしていて海であつたと考えられ、西方海を望む景勝の地であつて、現在も神門の前は坂をなして傾斜の石段がつけられている。 |
大海神社 海の神様 本宮域の北側に鎮座する大海神社は、摂社の中でも最も社格が高く、住吉の別宮、住吉の宗社と称えられ古代の祭祀においても重要視された神社です。祭神は、海幸山幸神話の海宮の竜王とその娘にあたる豊玉彦と豊玉姫の二柱をお祀りしています。 社殿は、本社と同じ「住吉造」の本殿で、四本宮よりも古く宝永5年(1708)に造営されたものです。幣殿、渡殿、西門と共に重要文化財に指定されています。 鎮座地の西方は、往古より「玉出嶋」といい、神域の杜は「磐手の森」と称し、萩と藤の名所でありました。社前の井戸は「玉の井」と呼ばれ、山幸彦が海神より授かった潮満玉を沈めたところと伝えられています。 祭神 ・豊玉彦命 (とよたまひこのみこと) ・豊玉姫命 (とよたまひめのみこと) 社格 延喜式内社(住吉郡小十二座の一) 公式HP |
大海神社元津守氏人神 大海は於保和多都美と訓べし○祭神大綿津見神、玉依姫命、(社家説)○住吉神社境内に在す、今磯御前社と称す、(摂陽群談、摂津志、)○元津守氏人神の五字は、後人加筆なるべし、 社家説云、(考証引用)大綿津見神、玉依姫神、而津守嫡流大領氏此社司也、 祭祀 扶桑略樹曰、天暦元年七月祭住吉海神(摂津志所引用) 雑事 玉葉、承安四年十二月六日己未、蔵人左衛門権佐光雅為関白使來、余相逢、光雅云、住吉社大海神殿寸法相違事出來、子細在國司申状、(別在解状)何様可被行哉、件事子細神殿宇長如長承覆勘文者三丈六尺也、而仁平神殿(当時神殿)三丈七尺五寸也、和違長承例、今所造之神殿任彼仁平例同三丈七尺五寸也、而旧殿新殿其処相重有頬于造営(彼社之習股宮所於前後、彼是相替造営、今度奉還後宮地度也)検仁平覆勘文之処三丈六尺也、同長承見在之法輿覆勘之正文 連胤云、当社も八十島祭の一処也、式文住吉神社の條下見合すべし、 神社覈録 |