安立小学校東の街中に鎮座する。綺麗に手入れがされている社地に小祠が3社あり、その中央の社に「霰松原荒神」の額があり。 金高大明神、荒神、稲荷社の祠が並んでおり、荒神社の祭神とが混同したとされている。 右手前の玉垣近くに「天水分豊浦命神社跡碑」(昭和5年9月建之)が建てられている。 |
霰松原の由来 霰松原の名は「万葉集」(巻1)天武天皇の第4皇子である長皇子の「霰打つ あられ松原 住吉の 弟日娘と 見れど飽かぬかも」の歌などでよく知られています。 この地は、奈良、平安時代は海に沿った堺まで続く松原で、白い砂と松の緑は四季を通じてすばらしい景観を見せ、多くの人々が訪れ、大阪と河内南部や紀州方面を結ぶ街道としても重要で「岸辺の道」、室町時代からは「紀州街道」と呼ばれていました。 天水分豊浦命神社は延喜式代の古社で、創建は詳らかでありませんが、『住吉大社神代記』にも記録されていることより1200年以上経ており、明治40年に沢之町の止止呂支比売命神社に合祀されています。 安立町の由来は、江戸時代初期の良医であった半井安立が、この地に住み多くの人々を助けた徳により、その名を遺して町名となったと伝えます。 財団法人 住吉名勝保存会 社頭掲示板 |