天水分豊浦命神社【旧地】
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   【延喜式神名帳】天水分豊浦命神社 摂津国 住吉郡鎮座

   【現社名】天水分豊浦命神社
   【住所】大阪府大阪市住之江区安立町 2
       北緯34度36分14秒,東経135度29分20秒
   【祭神】天水分神 奥津彦神 奥津姫神 (合祀)大国主命 事代主命
   【例祭】
   【社格】旧無格社
   【由緒】延喜3年(903)5月19日従五位下
       明治元年5月13日大和川洪水旧記流失
       明治40年7月30日止止呂支比売命神社に合祀

   【関係氏族】荒々公
   【鎮座地】当初鎮座の地は大歳岳と称する処
        その後霰松原に御遷座
        明治40年7月30日止止呂支比売命神社に合祀

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「歩王社」「荒神」と称していた
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

安立小学校東の街中に鎮座する。綺麗に手入れがされている社地に小祠が3社あり、その中央の社に「霰松原荒神」の額があり。
金高大明神、荒神、稲荷社の祠が並んでおり、荒神社の祭神とが混同したとされている。
右手前の玉垣近くに「天水分豊浦命神社跡碑」(昭和5年9月建之)が建てられている。


霰松原の由来

霰松原の名は「万葉集」(巻1)天武天皇の第4皇子である長皇子の「霰打つ あられ松原 住吉の 弟日娘と 見れど飽かぬかも」の歌などでよく知られています。
この地は、奈良、平安時代は海に沿った堺まで続く松原で、白い砂と松の緑は四季を通じてすばらしい景観を見せ、多くの人々が訪れ、大阪と河内南部や紀州方面を結ぶ街道としても重要で「岸辺の道」、室町時代からは「紀州街道」と呼ばれていました。
天水分豊浦命神社は延喜式代の古社で、創建は詳らかでありませんが、『住吉大社神代記』にも記録されていることより1200年以上経ており、明治40年に沢之町の止止呂支比売命神社に合祀されています。
安立町の由来は、江戸時代初期の良医であった半井安立が、この地に住み多くの人々を助けた徳により、その名を遺して町名となったと伝えます。
財団法人 住吉名勝保存会

社頭掲示板



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