止止呂支比売命神社の境内社として本殿並びに拝所がある。荒々公の祖 任那豊貴王の子孫の一族が奉祀と伝える。 本殿向かって右手奥に鎮座している。拝殿の額は「霰松原荒神」となっている |
天水分豊浦命神社(境内社) 御祭神[天水分神・澳津彦神・澳津姫神・大国主命・事代主命(大国主命・事代主命 ハ元敷津神社御祭神)] 由緒沿革[延喜式内ノ古社ニシテ霰松原歩王社又ハ荒神宮ト云ヘリ。祭神天水分豊浦 命是神延喜式神名之分ニ有之神也左右ニ社祭神奥津彦神奥津姫神亦土ノ祖ノ神相殿ナ リト云フ、右ノ三座之祭神ヲ以テ竃神ト云フ。朝廷ニ於テモ大炊寮内膳司ナド皆祭之 俗ニ荒神ト云也。霰松原歩王神社ノ社地往古今ノ安立町三丁目ヨリ六丁目ニ至ル松原 ノ処開テ田地ト成ル故ニ右町並之東西字七本松ト申田畠有之土地旧跡之由申伝候事( 安政六年禾九月ノ旧書)。 荒神社安立町ノ地ニ在リ所祭二座大竃神(奥津彦神)竃殿(奥津姫神)ヲ勧請シテ相 殿ニ祭ル也(摂陽群談)。 延喜三年癸亥五月十九日授摂津国荒々神授従五位下(日本書紀)。又曰ク荒々公ノ祖 ヲ祀ル荒々公ハ任那国豊貴王ノ後也(摂津誌)。 元安立町五丁目ニ鎮座セシヲ明治四十年七月三十日境内社トシテ奉斎セラレ明治四十二年九月十八日遠里小野町鎮座無格社農神社、住吉鎮座無格社敷津神社合祀ノ許可ヲ 受ケタルモ敷津神社耳合祀今日ニ至ル。 祭日[大祭、正月、五月、九月二十八日] 止止呂支比売命神社由緒書 |
霰松原荒神社由緒 式内 天水分豊浦命神社 御祭神 天水分命 奥津彦命 奥津姫命 (以上三宝荒神) 大国主命 事代主命 例祭正月・五月・九月 月次祭 二十八日 延喜式内社にして古きより往之江区安立町に御鎮座 明治42年7月30日 当若松官内に御遷座申し上げ、現在に至っている。 三宝荒神さんは八間生活に一番大切なかまど神として朝廷に於いても大炊寮内膳にお斎申し上げ厨房内の安全をご祈願されていました。 皆様方のご家庭の台所にもぜひ三宝荒神さんをお奉りし大神様の御神徳をいただきます様お祈り下さい。 社頭掲示板 |
天水分豊浦命神社 延喜式内の古社にして霰松原歩王社又は荒神社と云う。 天水分豊浦命と澳津彦神また澳津姫神の三座の祭神を以て寵神とする。 元は安立町に鎮座されていたが明治40年7月30日に境内社として奉斎せられ、明治42年9月18日に遠里小野町に鎮座されていた無各社の農神社と住吉に鎮座されていた敷津神社を合祀し現在に至る。 公式HP |
天水分豊浦命神社 天水分豊浦は阿米乃美久麻理登與艮と訓べし○祭神明か也(比保古に風神子也、と云るはいかがや、)○住吉安立町に在す、今歩王と称す、(摂津志) 神社覈録 |