住吉神社
すみよしじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】須牟地曽祢神社 摂津国 住吉郡鎮座 

   【現社名】住吉神社
   【住所】大阪府大阪市東住吉区湯里4-17-14
       北緯34度36分45秒,東経135度32分6秒
   【祭神】中筒男命
   【例祭】7月31日 夏季大祭
   【社格】
   【由緒】明治5年、現社名に改められる

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】竹生島神社・稲荷社・楠社

『大阪府全志』にも「住吉神社は中央湯谷島にあり、中筒男命を祀れり。創建の年月は詳ならず。傳へいふ、往昔は當地の南参町余の天神山といへる所に須牟地神社ありて、富田荘の氏神たりしが、後同荘の数邑を割きて河内國丹比郡に編入せらるるに及び、社も同國所属となりければ、同社祭神中の一座を勧請したるもの即ち當社にして、初めは須牟地神社と称せしも、後、住吉神社の二の宮と称し、旧須牟地神社のありし天神山の称は、今も中河内郡矢田村大字住道の田畑の字となりて残れり。」


由緒

由緒
創建の月日は詳ではない。伝えられる所によると住吉当区の天神山という所に須牟地神社があったが、そこが、河内国に編入されたため、社も同国の所属となったので同社祭神中の一座を当地に勸請。須牟地神社、住吉二の宮、湯屋島住吉などとよばれたのが、当社の起りである。明治5年、現社名に改められる。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




住吉神社

信長の焼討(1577〜80)や、大坂冬の陣(1614)と夏の陣(1615)の兵火に遭い、社殿や社記を全て焼失して、神社由緒がわからなくなったようです。 
当神社の社伝によれば、当社は式内社で、大社の社格を持つ中臣須牟地(スムチ)神社との神縁が深く、中臣須牟地社(047 住道(須牟地)廃寺跡 参照)が当社の南300mの天神山(四極山:シハツヤマ)にあった奈良時代末期(光仁天皇の在位770〜781)に、河内国丹比(タジヒ)郡に編入されて、当地富田荘住民の氏神がなくなったため、中臣須牟地社の祭神の一柱である、中筒男命(住吉大社第二宮のご祭神)を勧請したことに始まります。
従って、当社は初めは須牟地神社と呼ばれ、その後、住吉二之宮、湯屋島(湯谷島)住吉との社名を経て、現在は湯里住吉神社と呼ばれています。
天正18年(1590)の太閤検地の際には、境内地は81坪の小さな神社でしたが、大正11年(1922)11月発行の「西成郡誌」には189坪となっています。 更に敗戦直後、各地の社有地が農地改革によって収奪された昭和21年(1946)に、信者の寄付によって境内地が一挙に381坪となった社歴を持つ神社です。

大阪市 東住吉区100物語






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