社名表示は須牟地曽根神社とあり勝手大明神は本殿右の小祠に表示がある。街中のごく小社である。 現地は船堂町の新池より流出する小川の西の川添いある。 明治28年焼失し明治41年4月に金岡神社に合祀された。 その後、「勝手明神」の小祠に「金岡神社」より御分霊を遷し祀つているという。 |
須牟地曾根神社 延喜式神名帳によれば摂津国住吉郡中臣須牟地曽根神社と見ゆるもの即是にして須牟地曽根命を祀り今まで勝手大明神と称し村社にしてこの地の産土神たり、創建の年代は神功皇后6年のことなりと記す。 旧本殿は明治28年焼失しこれにより金岡神社に合祀せらるも今日新たに須牟地曽根之命を主神とし、勝手大明神、毘沙門天を合わせ祭り末代まで子孫につたえるためしるす。 社頭掲示板 |
須牟地曽禰神社 須牟地は前に同じ、曽禰も假字也、○祭神曽禰連祖神歟、(比保古同じ)○南花田蔵前村に在す、今勝手社と称す、河内國八上郡に隷す、(摂津志)○姓氏録、(左京神別上)曽禰連、石上同祖、同、(右京神別上)曽禰連、神饒速日命六世孫伊香我色雄命之後也、同、(和泉国神別)曽根連、采女臣同祖、 類社 和泉國和泉郡曽禰神社の條見合すべし 神社覈録 |