貞観13年(871年)に奏進・施行された『貞観式』に讃岐国五社の一つとして記載されたという。 延喜神名式にその名をみる他、古・中世の様子を知る史料はない。 この地は讃岐山脈の麓に広がる洪積世台地の先端部で、付近より弥生時代の住居趾・銅鐸、古墳趾も多く発見されている。 当社御祭神は毒蛇の災いを防ぐ神という一面があり、御神体は黒蛇で、本殿下に住んでいると伝わる。 |
由緒 御祭神 闇山津見神 瀬織津姫神 由緒 丸亀藩、甲斐国の或川堀御普請申付けられ工事難行せし時、藩主佐渡守高矩公の枕辺に黒嶋、池之宮二神お立ちになり、「紫の幕張り工事取進めよ、たやすく成就いたすべし。」とのお告げあり、早速にも取り計えば思いのほか早く完成。よって宝暦5年(1755)6月26日、御供田十石五斗四升二合の寄進あり。 また将軍家より悍馬賜りし時、或夜夢にて「吾は領内にある黒嶋大神なり。」と告げ給い、奇瑞のことなるによって、万延元年(1860)に至り御供田拾石を寄進せしと旧記にある。 明治維新の際、村社に列せられ、同40年10月24日、神饌幣帛料供進神社に指定、大正6年、郷社に昇格。 鎮座縁起年代は不詳であるが、延喜式内讃岐二十四社の一であるから当時の御神威が想像されると云える。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
黒島神社 黒島神社は、創建年代は詳らかではないが、清和天皇貞観式(871年)讃岐國五社の一と伝えられ 延喜式(927年)讃岐國二十四社の一として県内有数の格式を誇り 古より地域内外を問わず深い信仰を集め 明治5年村社に列し 大正6年郷社に昇格 その神威高きたたずまいを損なうことなく 今日までこの地の産土神として 変わらぬ崇敬を寄せられている 御祭神は闇山津見神・瀬織津姫神の二柱を祀る 旧社殿は、明治27年の大火の折造営され 爾来幾星霜を経て老朽損傷が甚だしく 氏子崇敬者より社殿建設を望む声が高まり奉賛の寄進を得て本殿の屋根葺替 修築 釣殿 幣殿 拝殿の新築並びに参道整備に取り組み着工以来2年 斯くも厳しく成し終え 後世に誇るべき平成の造営として茲にめでたく竣工に至った これを記念して この碑を建立する 平成14年4月吉日 社頭石碑 |
黒島神社 延喜神名式に「讃岐国刈田郡小黒島神社」とありて讃岐国式内二十四社の一なり。神社は山本郷池尻村に有、土人境内をさして黒島といふ。 社傳未詳、祭神さだかならず、或いは闇山祇命(式社考、讃留霊記附録には水の神とあり)又、黒雷神(生駒記、網目、全讃史)又、佐須良姫命(廿四社名目式社考)とも云、偖上なる三神は皆社號の黒と云につきての説ならむか、又佐須良姫の祭神と云は古傳かいとめずらし……川崎家記に萬延3年領主京極高矩ぬし江戸の邸にありし時、将軍家より悍馬を賜りし或夜の夢にわれは領内なる黒島神なりと告給ひて奇瑞の事有しより祭田十石余りを寄付せられたりと云事を載せたりと見ゆ。 香川県神社誌 |