祭神天太玉命、配神として項々杵尊の外に「天孫降臨之時供奉」の天香語山命外三十一神を奉齋する。 当社の鎮座する大麻山は、山全体が古墳群として著名な所であり、弥生期から古墳期へかけての遺跡・出土品も多い。 宮司白玖氏は、代々当社の神主を勤める家系で古代より連綿とつながっている。 |
由緒 祭神 天太玉命 相殿 天津彦々火瓊々杵尊及供奉三十一神 例祭 10月第一土、日曜日 一.由緒 延喜神名式「讃岐国多度郡尓大麻神社とありて、延喜式内二十四社の一なり」。天太玉命は、高皇産霊神の御子に座して、天児屋根命と倶に祭祀を主り給い、抜群の御功績あり。天照大御神、瓊々杵尊に豊葦原瑞穂国を御依し給ひて、天孫降臨。命は供奉三十二神の五伴緒の一神にして、所謂、忌部氏の祖神なり。 御鎮座創祀は往古に属し、正史に神武天皇の御宇、諸国に忌部の社を建て祭祀せしと相伝ふ。往古当国の忌部氏、阿波忌部と協力して讃岐を開拓し、此の地に麻を植え殖産興業の途を開かれ、国利民福の基を進め、その祖神天太玉命を祀り大麻天神と奉称し、村の名を大麻と云ふ。 一.12代景行天皇23年癸巳年夏、南海に悪魚ありて災害をなす。天皇、皇子神櫛王に平げ給へと勅ありて、軍士を率いて下る。討伐に際し大麻神は天孫と倶に、国土平定の守護の神なりとて祭り、果して験あり。土佐国より当国綾の海にて斯を平定し後、国造に任ぜらる。その時、崇敬愈厚く御供仕へし穂積忍山彦根をして、社殿を修営し玉串を納め祭祀を主らしめ給へり。(穂積忍山彦根は、現宮司白玖氏の遠祖なり) 一.神階 56代 清和天皇 「貞観7年冬10月9日丁巳讃岐国従五位下大麻神授 従五位上」(三代実録) 60代 醍醐天皇 「延喜10年8月23日授 讃岐国大麻天神従四位下」(日本紀略) 後円融天皇 永徳元年迄に正一位の神階に進ませらる、御加階毎に、位田の御寄進もありたり。 一.重要文化財 天津彦々火瓊々杵尊座像壱躯。天太玉命座像壱躯。上記四十代天武天皇白鳳11壬午年(皇紀1,342)。穂積忍山彦根の裔、23代20世孫神主穂積宿祢白玖鵜麿の作なり。重要文化財に指定せらる。同年、天孫瓊々杵尊及供奉32柱の神像作り、相殿に奉斎す。同、門守神二躯狗形二體神門に奉斎す。61代 朱雀天皇 天慶4辛丑年(皇紀1,601)34代29世孫神主穂積白玖志岐、門守神二躯狗形二體神門に奉斎す。 一.旧社格 1.明治5年、郷社に列せらる。2.昭和8年6月19日、県社に列せらる。生駒記、式社考、二十四社考、大日記二十四社名目、西讃府志、讃岐古社神名帳、皆同じ。当社は、大麻山に鎮座。古今異説なし。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
大麻神社 式内社 大麻神社 香川県善通寺市大麻山御鎮座 一、祭神 天太玉命 相殿 天津彦々火瓊々杵尊及供奉三十一神 一、例祭 10月6日・7日 一、由緒 延喜神名式「讃岐国多度郡小大麻神社とありて、廷喜式内二十四社の一なり」 天太玉命は、高皇産霊神の御子に座して、天児屋根命と共に、祭祀を主り給ひ、抜群の御功績あり。 天照大御神、瓊々杵尊に豊葦原瑞穂国を御依し給ひて、天孫降臨。命は供奉32神の五伴緒の一神にして、所謂、忌部氏の祖神なり。 御鎮座創祀は、往古に属し、正史に神武天皇の御宇、諸国に忌部の社を建て、祭祀せしと相伝ふ。往古当国の忌部氏、阿波忌部と協力して讃岐を開拓し、此の地に麻を植、殖産興業の途を開かれ、国利民福の基を進め、その祖神天太玉命を祀り、大麻天神と奉称し、村の名を大麻と云ふ。 一、12代景行天皇23年癸巳年夏、南海に悪魚ありて災害をなす。天皇、皇子神櫛王に平げ給へと勅ありて、軍士を卒いて下る。討伐に際し、大麻神は天孫と共に、国土平定の守護の神なりとて祭り、果して験あり。土佐国より当国綾の海にて、斯を平定し後、国造に任ぜらる。崇敬なお厚く、御供仕へし穂積忍山彦根をして、社殿を修営し玉串を納め祭祀を主らしめ給ヘり。(穂積忍山彦根は現宮司白玖氏の遠祖なり。) 一、神階 56代清和天皇 「貞観7年冬10月9日丁己讃岐国従五位下大麻神授従五位上」(三代実録) 60代醍醐 「延喜10年8月23日授讃岐国大麻天神従四立下」(日本紀略)後円融天皇永徳元年迄に正一位の神階に進ませらる、御加階毎に、位田の御寄進もありたり。 一、重要文化財 天津彦々火瓊々杵尊 坐像一体 天太玉命 坐像一体 右40代天武天皇白鳳11壬午年(皇紀1342) 穂積忍山彦根の裔、23代20世孫 神主穂積宿根白玖鵜麿の作なり。重要文化財に指定せらる。 同年、天孫瓊々杵尊及供奉三十二柱の神像作り、相殿に奉斎す。 同 門守神二体狗形二体神門に奉斎す 一、61代朱雀天皇 天慶4辛丑年(皇紀1601) 34代29世孫 神主穂積白玖志岐 門守神二体神門に奉斎す。 一、境内神社 天神地祇社 祭神 天神地祇八百萬神及第橘姫命 由緒 此の神鎮座後、里人に託して、今より疫鬼をして此の里に入らしめずと、故に村民厚く崇敬す。讃岐初代国造、神櫛王命を始め、国司、京極藩主の崇敬驚く、国内大衆の信仰を有ち、大麻天神と称へ奉り、延喜の制官社に列し、官庫の奉幣に預かり、霊験赫々たる歴社なり。 一、旧社格 一、明治5年郷社に列せらる。 一、昭和8年6月19日県社に列せらる。 生駒記、式社考、二十四社考、大日記二十四社名目、西讃俯志、讃岐古社神名帳、皆同じ。当社は大麻山に鎮座。古今異説なし 一、境内祖霊社(上祖穂積白玖忍山彦根70代之霊神) 穂積忍山彦根は、穂積忍山宿根の嫡男にして暁速日命より出づ。 景行天皇23年、神櫛玉命に従ひ、讃岐に来り、大麻神社の祀を主る。氏を白玖と改め、子孫代々祠官となり、連縄七十二代、今日に至る。 社頭掲示板 |
大麻神社 式内社 大麻神社 香川県善通寺市大麻山御鎮座 一、祭神 天太玉命 相殿 天津彦々火瓊々杵尊及供奉三十一神 一、例祭 10月6日・7日 一、由緒 延喜神名式「讃岐国多度郡小大麻神社とありて、廷喜式内二十四社の一なり」 天太玉命は、高皇産霊神の御子に座して、天児屋根命と共に、祭祀を主り給ひ、抜群の御功績あり。 天照大御神、瓊々杵尊に豊葦原瑞穂国を御依し給ひて、天孫降臨。命は供奉三十二神の五伴緒の一神にして、所謂、忌部氏の祖神なり。 御鎮座創祀は、往古に属し、正史に神武天皇の御宇、諸国に忌部の社を建て、祭祀せしと相伝ふ。往古当国の忌部氏、阿波忌部と協力して讃岐を開拓し、此の地に麻を植、殖産興業の途を開かれ、国利民福の基を進め、その祖神天太玉命を祀り、大麻天神と奉称し、村の名を大麻と云ふ。 一、12代景行天皇23年癸巳年夏、南海に悪魚ありて災害をなす。天皇、皇子神櫛王に平げ給へと勅ありて、軍士を卒いて下る。討伐に際し、大麻神は天孫と共に、国土平定の守護の神なりとて祭り、果して験あり。土佐国より当国綾の海にて、斯を平定し後、国造に任ぜらる。崇敬なお厚く、御供仕へし穂積忍山彦根をして、社殿を修営し玉串を納め祭祀を主らしめ給ヘり。(穂積忍山彦根は現宮司白玖氏の遠祖なり。) b 一、神階 56代清和天皇 「貞観7年冬10月9日丁己讃岐国従五位下大麻神授従五位上」(三代実録) 60代醍醐 「延喜10年8月23日授讃岐国大麻天神従四立下」(日本紀略)後円融天皇永徳元年迄に正一位の神階に進ませらる、御加階毎に、位田の御寄進もありたり。 社頭掲示板 |
大麻神社由緒略記 香川県仲多度郡善通寺町大字大麻字上ノ村山大麻山御鎮座 御祭神 天太玉命 相殿 天津彦彦火瓊瓊杵尊 並供奉三十二神 由緒 天太玉命は天祖天照大御神石窟に御閉居座■せし時天児屋根命と共に抜群の功績あり又天孫瓊瓊杵尊神勅を奉じ豊葦原瑞穂国に御降臨の折供奉三十二神の五伴緒の一神にして忌部氏の祖神なり当神社に御鎮座は久遠の昔なれば不詳と雖神武天皇の御代諸国に忌部の社を建て給いし時祭りし神社なりと云 即往古忌部氏の輩当国に麻を植栽せし時祖神を此の地に奉斎して大麻の神と尊称せり故に山名地名共に大麻と称す。 人皇第12代景行天皇の御代癸巳23年讃岐に悪魚あり時々災害をなす 皇子神櫛王命勅を奉じ軍士を率いて当国に下り給 先国土平定守護の神なる当大麻の神を祭り祈願を籠め給いし 果たして霊験あり遂に悪魚を討誅し給う其の後 皇子当国々造に任せられ給いし時当社に勅使を立て崇敬し給い穂積忍山彦根に勅して社殿を修営して玉串を納め祭祀を司らしめ給えり。 天武天皇白鳳壬午11年忍山彦根の裔穂積鵜麿をして天孫瓊瓊杵尊並供奉三十二神の神像を配し祀らしめ給えり現今御本社の相殿に奉安せる御神像乃之なり 朱雀天皇天慶辛丑4年神主穂積志岐閤神狗形の朽損せるを改作す現今神門内に安置せり 清和天皇貞観7年に勅あり大麻大神に従五位上を授け給わる醍醐天皇延喜10年従四位下を授け給わる其の後 後円融天皇承徳元年迄に正一位に昇り給えり其御加増毎に位田をも寄せ給えりとそ上古は官庫の奉幣に預かり給うこと厚かりしか中古兵燹に罹り社殿焼失せり然れども御神像は御神徳に依り幸に其災を逃れたり後国司京極佐渡守高主再興し奉り後京極氏代々崇敬せり。 後白河天皇永暦4年祝部等神事を穢し奉りしに依り祟り給えるに神祇官亀卜を奏せしかは朝廷勅使を立て中祓を科せて清めしめ給いしことあり如斯霊験著明神威赫々たる事古書にも往々見えたるに最も旧き尊き神社なり。 昭和8年6月19日社格昇格県社に列せられ同月29日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。 古書生駒記 網目式社考 二十四社考 讃留礼記付録 大日記 二十四社名目 全讃史 等に載する所皆同じ。 当神社は太古より大麻山の麓にありて古今異説無し。 社頭掲示板 |
大麻神社 大麻神社(おおあさじんじゃ) 香川県善通寺市大麻町。旧県社。天太玉命を本座とし相殿に天津彦彦火瓊瓊杵尊および供奉三二神を祀る。天照大神は皇孫瓊々杵尊に瑞穂国をよさし給いて天孫降臨なさしめた。そのとき祭神太玉命は供奉三二神の五伴緒の一神であり、忌部氏の祖神であった(紀)。往古、讃岐の忌部は当国を開拓し、麻を植え、殖産民福のもといを進めた。神武天皇のとき太玉命の孫天冨命は東国(上総・下総国)に往て麻穀を播殖る。また太玉命に麻を殖しむ(『古語拾遺』)とあるが、世世麻穀のことに功あったので讃岐の忌部の祖を大麻神と呼び、その社を大麻神社と名づくるか。当社神殿に瓊々杵尊と供奉三一神の神像を配祀するのも、この縁によるか。社伝によれば景行天皇の皇子神櫛別命は南海の悪魚を討伐し、そのとき大麻神の霊験あり、平定ののち国造に任ぜられた。いらい崇敬の念篤く現宮司白玖氏の遠祖穂積忍山彦根をして祭祀をつかさどらしめたという。子孫代代祠官となり、連綿七一代、今日にいたるという。貞観7年(865)従五位上を授けられ、延喜10年(910)大麻天神に従四位下を加え、延喜の制小社に列し、承暦4年(1080)御トに、大麻神の崇により社司に中祓を科した。社蔵の天太玉命坐像一躯、瓊々杵尊坐像一躯は旧国宝、現重文に指定せらる。本殿棟札に慶長18年(1613)・寛永3年(1626)以下一二枚あり。境内祖霊社には累代祠官の霊を祀る。末社に天神地祇社一社あり。例祭10月6日、7日。 神社辞典 |