飯神社
いいじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】飯神社 讃岐国 鵜足郡鎮座
          (旧地)飯神社【旧地】

   【現社名】飯神社
   【住所】香川県丸亀市飯野町東二山根20
       北緯34度16分12秒、東経133度50分25秒
   【祭神】飯依比古
       飯頼彦命『讃国國官社考証』

   【例祭】10月第4日曜日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】仁和4年(888)12月15日従五位上
       天正年間兵火で焼失
       元和8年(1622)9月11日社殿再営
       寛文元年(1661)社殿改築
       元禄8年(1695)造営
       享保10年(1725)造営
       延享2年(1745)造営
       宝暦9年(1759)造営
       安永9年(1780)造営
       寛政7年(1795)造営
       文政4年(1821)造営
       文政13年(1830)造営
       天保10年(1839)造営
       明治初年村社
       大正10年2月10日県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初鎮座の地飯野山の山頂
        中世、山腹に移され
        康保元年(964年)現在の地に遷座

   【祭祀対象】讃岐富士の山自体を神体山とする
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造
       幣殿・拝殿・神饌所・随身門間・祓殿・神庫

   【境内社】
   【神宮寺】法樂寺があつたが、今、廃絶

讃岐平野に兀然として聳え讃岐富士と称せられる飯野山の西南麓に鎮座する。
飯野山自体を神体山とするという。
当社が古くより、讃岐の国魂神たる飯依比古命を祭る社である事は、疑を入れない。往古は飯野山の頂上に鎮座していたが、中世、山腹に移され、更に後に至つて現在の地に遷座されたものと云う。



飯神社

延喜式内社、元県社の飯神社は、古事記の国生みの神話に登場する讃岐国(香川県)の国魂神、飯依比古命と、大国主命と協力して国土の経営に当たった、少彦名命をお祀りして居ります。
「伊邪那岐命と伊邪那美命が御合いまして伊予之二名の嶋を生みたまいき。
この嶋は身1つにして面四つあり。
面ごとに名あり。
伊予の国を愛比売と云い、讃岐の国を飯依比古と云い、粟の国を大宜都比売と云い、土佐の国を建依別と云う」
昔、御社は飯ノ山の山頂にあり、それが中腹に移り、そして現在地に移ったと云われて居ります。
現御社殿は南に向かって建って居りますが、最初は西に向かって居て、飯ノ山を御神体としてお祀りして居たと云われています。
飯神社は醍醐天皇の勅命で延喜5年(905年)に左大臣藤原時平らが編集に着手し、延喜5年(927年)に完成した全50巻から成る法令集、延喜式の神名帳に記載されて居り、祈年祭には国司より幣帛を奉られた神社です。
延喜式に記載されて居る神社を式内社と云い、全国で3132社あり、讃岐国からは24社が選ばれて居ます。
坂出の神谷神社、城山神社、高松の田村神社も式内社です。
明治初年に村社に列せられ、大正10年2月1日に県社に昇格し、戦前は祈年祭、新嘗祭、例大祭には県より神饌幣帛料が供進されて居ました
県社は15社あり、滝宮の天満宮、宇多津の宇夫階神社、坂出の城山神社があります。
飯天神は、学問・書道の神様、菅原道真公をお祀りして居ります。
菅原道真公は仁和二年(886年)に讃岐国司として赴任、城山の山頂で7日間雨請い祈願をして大雨に恵まれたと云われて居ります。
菅原道真公は飯神社の崇敬厚く、たびたび飯神社に参拝され、都に帰られる時に御自分で刻まれた木像を飯神社に残していかれ、それをお祀りして居るのが飯天神社です。
飯天神社には書、絵が展示されていて、皆さんのお参りをお待ちして居ります

社頭掲示板



飯神社

伊邪那岐命と伊邪那美命が御合いまして   を生みたまいき。
 の島は身一つにして面四つあり。面  伊予の国を愛比売 と云い、讃岐の国を飯依比古と云い、   比売と云い、土佐の国を建依別と云う。  
御社は飯野山の山頂にあり、それが   に現在地に移ったと云われています。現御社殿は南に向かって建っていて、飯野山を神体としてお祀りしていたと云われています。

社頭掲示板



飯神社

飯依比古命は、讃岐国國魂なり。
当国に於いて飯依比古命命を祀れる神社は、当社のみにして、夙に延喜の制官社に列せられ、新年国幣にも預らせ給ふ。
社傳によれば、代々の国司崇敬厚く、紀夏井国司たりし時數次奉幣あり。
菅原道真常に参拝し歸任に際しては自作の木像を献納せりと云いひ、現在境内神社菅原社にはこの像を祀るといへり。
神社は飯の山の山麓に鎮座す。
飯山はその山容富士山に類似せるを以て讃岐富士とも称せらる。
往古は山上に鎮座せしと傳へられ、今も不入山と称する地域ありて或いは大和國大神神社の如く山岳を以て神體となせしに非ずやといへり。
中古に至り山腹に遷座志、更に後山麓に奉遷す。

香川県神社誌



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