大蓑彦神社
おおみのひこじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大蓑彦神社 讃岐国 寒川郡鎮座

   【現社名】大蓑彦神社
        素盞鳴尊『読岐国式内十四座案内記』『古今讃岐名勝図絵』
        水霊『神名帳考証』『讃岐廿四社考』

   【住所】香川県さぬき市寒川町石田東蓑神甲 1743
       北緯34度15分10秒、東経134度12分42秒
   【祭神】大蓑彦命
   【例祭】10月 第2土曜日 例大祭
   【社格】
   【由緒】創立年代不詳
       延喜21年(921)3月「大箕社」と記載あり
       永承4年(1049)6月勅賜仏舎利
       天正10年長曽我部氏の兵乱で焼失
       寛文2年(1662)9月造営
       寛文7年(1667)造営
       寛文12年(1672)9月造営
       元禄10年(1697)8月造営

   【関係氏族】
   【鎮座地】元は東の山の上に鎮座
        その後現在の地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「蓑神明神」と称していた
   【社殿】本殿春日造銅板葺
       幣殿・拝殿・神輿殿

   【境内社】
   【別当】宝藏院末寺小倉寺

寒川町の大蓑彦(おほみのひこ)神社は、蓑神(みのかみ)明神とも呼ばれ、初めて蓑を作った神といわれる。一説に素戔嗚尊のことともいう。水霊神でもあり、大水上神(おほみなかみのかみ)ともいう。この大水上神の子に寒川比古命、寒川比女命がある。神社の北方に寒川渕という泉があり、寒川郡の郡名にもなった。
往古東の山の上にあったが、往還の乗馬を咎め給うたので今の宮地に下したと伝。


由緒

当社は延喜式神名帳に「讃岐二十四座の一」とす、里人蓑神明神と奉称す、神社の北方に寒川渕ありて名水なり、寒川郡名之によって起ると云う。
御祭神大蓑彦命は上古蓑を作り始め給ひし功績によりて称へし御名なるべしと云う
一説には素盞嗚命、又水霊神を祀ると云へり、神名帳考証に「寒川郡大蓑神社水霊郡名寒川郡因此神歟」と云う。
特選神名牒に「水霊の説いと由ありて聞ゆ故考へるに延暦儀式帳に牟祢神社は大水上児寒川比古命寒川比女命と云う、又那自売神社は大水上御祖命なりとある。
大水上神、大水上御祖命同神にて、此大蓑彦命も大水彦神の義ならん。
郡名は寒川比古命、寒川比女命に由ありと思うべし」と記されたり。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




大蓑彦神社

延喜式神名帳に載る讃岐24官社の一つである。祭神は大蓑彦命で蓑神大明神とよぶ。
大蓑彦は大水彦で水霊神をまつるものといわれ、蓑川比古蓑川比女命に由来し、石田高校のところにある蓑川渕とも関係もつものである。
むかしの社は広大であったが、天正の兵火に焼けた・・・の西の御田神辺はこの神社の神田であったといわれている。
寒川町商工会

社頭掲示板



大蓑彦神社

この神社は延喜式(醍醐天皇の延喜という時代に作られた施行細則)の巻九「新明帳」に載っているので、古くから有名で、格式の高い神社であったことが分かる。
このような神社を「式内社」と言い、香川県には24社がある。この中の3社が寒川町内にある。
鳥居を潜ると、42段の石段がある。この石段を上がると広前に出る。狛犬、注連柱の向こうに、最近改修したばかりの、拝殿、その奥に幣殿、更にその奥、7段の石段の上に一間社の桧皮葺き、銅板覆いの本殿が建てられている。
この本殿の主は、「蓑神」という自治会名の由来と言われているが、どのような神様なのかは未詳である。
古書には、「この神社は元、明神池の東の山腹に北向きに祀られていたのを、現在地に移転した」とある。

さぬき市文化財保護協会寒川支部



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