祭神は寒川氏の祖・油良大人とする説がある。 拝殿西の傍に古い大小の石像が一体つつあり、大像の顔面の中央が異常に隆起している。祭神猿田彦命の神像ともいわれている。 現在は、男山神社の境外末社であるが、もとは神前村村社であった。 |
神前神社の石仏 この石像は、白色凝灰岩製で、風化が進んでいるため仏像か神像かの判別が難しく、仏像・神像の両説があります。 仏像説では、この象を横から見るとやや前かがみになっているところが、仏像ではないかと考えられ、造像当初は、全身立像で、鎌倉時代末期か室町時代初期頃の地蔵菩薩像、又は、薬師如来像と推定されています。 神像説では、この像の顔の真ん中あたり(鼻の部分)が高くなっているので、猿田彦命ではないかと考えられています。また、旧神崎村八幡宮並末社由来帳に、山崎「具名登二社」という記載が残っているのが、この石像ではないかとも言われています。近所の人はおふなたさんと呼んでいます。「具名登」は「久那斗」・「岐」とも書かれ、日本書記には「是を岐神と謂す。此れ本の号は来名戸の祖神と曰す。」とあり、旅人を守る道祖神であるといわれています。 人は自分の生涯のどこかで、信じるものを失いかけることに出会います。そんな時、石像である、木造であれその中に神を求め、仏を信じ心の寄りどころを探して祈ります。救われたい人の弱さを、この像はじっと見守り、やすらぎと生きる喜びを与えてきたに違いない。 昭和59年3月 社頭掲示板 |
神前神社 讃岐二十四社のなかの3社が寒川町内にあり、その一つがこの「神前神社」である。 「神前明神」とも言われ、土地の人々は「こうざきさん」とか「みょうじんさん」と呼んでいる。 玉垣に囲まれた境内正面の鳥居をくぐると、狛犬・注連柱の向こうに横5間の立派な拝殿がある。 その奥に猿田彦命をお祀りしてある銅板葺きの神殿が建っている。 現在は、男山神社の境外末社であるが、もとは神前村村社であった。 また祭神についても「応神天皇」と言う説もあるがこの神社はいつできたかはわからない。 また神前という地名は猿田彦命の天孫の御前奉仕に由来して神前(カムサキ)となったといわれている。 神殿の西側には白色凝灰岩製の石仏(仏像・神像両説がある)が祀られている。 さぬき市文化財保護協会寒川支部 |