造田神社
ぞうたじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】布勢神社 讃岐国 寒川郡鎮座

   【現社名】造田神社
   【住所】香川県さぬき市造田是弘1977
       北緯34度17分6秒、東経134度10分40秒
   【祭神】誉田別尊 気長足比売尊 足仲彦尊 少童命 大鷦鷯尊
   【例祭】9月22-23日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】仁和2年(886)京石清水神社を勧請
       天暦元年(947)造営
       元暦元年(1184)野間田字造田にあつた宮地を現在地に遷
       永享五年(1433)造営
       寛文12年(1672)造営
       明治3年造田神社と改称
       明治4年7月郷社
       明治40年9月神饌幣畠料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは野間田字造田に鎮座していた
        元暦元年(1184)現在地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八幡布勢神社」「造田八幡」と称していた
   【社殿】本殿流造銅板葺
       幣殿・拝殿・神饌殿・神庫・神輿庫・神門・参集所・手水舎

   【境内社】花の宮神社・杵築神社・若宮神社・美弥多尓神社・諏訪神社

天暦元年(947)当時、野間田字造田(現在の下所)にあった宮地を現在地に遷される時、その神意を伺ったのが「鳴動釜神事」の始まりと伝えられている。


造田神社

御鎮座1100年奉賛記念碑
この幽邃なる地に鎮まります神々は譽田別尊 息長帯比賣命 足仲彦尊 大鷦鷯尊 和多須美命の五柱で、創祀は舊く往古和多須美命を奉斎し造田大明神 布勢之宮として尊稱され、光孝天皇の御宇仁和二年(西暦八八六年)には造田郷の総鎮守として京師石清水八幡宮より御神霊を御勧請申し上げ爾来造田八幡宮と仰がれ 悠久千古の歴史に映える古社であり 人々の篤い尊崇を集めて参りましたが 本年は、天皇陛下御在位60年を慶祝する佳辰で 時恰も軌を同じうして當社の勧請御鎮座1100年という極めて意義深い年に當たります
これを記念して氏子並びに崇敬者各位の御理解と御協力のもとに奉賛会を組織し奉賛事業を起こし 左の事蹟が完工致しましたので ここに碑を建て神恩に感謝の念とこの事蹟を永く後昆に伝えることに致しました
昭和60年12月吉日

社頭掲示板



鳴動釜神事

事芸能(香川県)鳴動釜神事(造田神社)
内容など   古来より竈処、御釜が神聖視された事は、古事記に「諸人以拝竈神者也」と、続日本紀の天平3年正月の條に「奏庭火御竈四時祭祀永為常例」とあり、古くから宮中で、御釜を八嶋殿に祭祀した事でも知られ、神社でも御炊殿、大炊殿などと称し、神饌の調理に用いる竈処御釜を御神体、若しくは、それに準じるものとして、神聖視され祭事を奉修されて来た事は顕著な事である。又、釜の鳴動により吉凶を占う事も古来より行われており、「日本書記」「吾妻鏡」等にも見られる。
なかでも、造田神社の、「鳴動釜神事」はその由緒は詳らかではないが、古老いわくに天暦元年(西暦947年)当時、野間田字造田(現在の下所)にあった宮地を現在地に遷される時、その神意をこれで伺ったと伝えられ、古くから人口に膾炙し、この地方の人々の、信仰浅からぬものがあった。即ち、この御竈處には、三釜あり、中央の大釜が、大神の御饌を炊く御釜で、残る二釜がいわゆる鳴釜である。(現在は三釜とも、鳴釜である。)
祈願の旨ある時は、祓物を供へ、枯松葉を焚き、御湯を奉り、竹葉を浸して、その人の身に潅き祓えは、諸々の罪穢、災厄が祓われ、命が甦ると言われ,これを「御釜祓」という。 又、事の成否を伺はんとする時は、先ず、祝詞を奏し、御釜の上に載せた甑の中に、洗米を振り撒き、御釜が「鳴動」する時は、大神の納受された證で吉祥であり、音なき時は大神の納受なく、凶事と言われている。この時、炊き造られた神饌を「御炊米」(みかしぎまい)と言い、これを頂くと無病息災厄除開運の御利益があると、伝えられている。
 この神事は、籾の播種前に、豊穣を祈願する、春季祭の日(5月3日)に、大神に豊作か否かを伺う為に行われるものが特に有名である。 資料提供「造田神社」



鳴動釜神事

令和最初の作柄「大吉」 さぬき・造田神社で釜鳴神事
 令和最初の吉凶は「大吉」のご託宣−。さぬき市造田是弘の造田神社(三好征太呂宮司)で3日、釜の鳴動でその年の作柄を占う釜鳴神事が営まれた。斎場に並べられた釜が湯気とともに「吉祥」を示す低い音を響かせ、めでたいご託宣に詰め掛けた氏子や参拝客から拍手が起こった。
 同神事は千年以上の歴史があると伝えられる農事占い。釜が鳴れば「吉祥」、鳴らなければ「凶事」とされ、毎年、春季大祭が開かれるこの日に豊穣(ほうじょう)を祈願して実施している。
 神事は本殿脇の斎場であり、湯気が立ち上る大小三つの釜を前に巫女(みこ)装束に身を包んだ地元の造田小学校6年の女子児童4人が「浦安の舞」を優雅に奉納。その後、三好宮司が釜の上に甑(こしき)と呼ばれる円筒状の蒸し器を置き、ふたを少しずらすと、「ブォーン」「ブォーン」とうなるような低い音が斎場に響き渡った。
 鳴動を確認した別の神職が氏子や参拝客を前に「大吉」のご託宣を披露し、「春風の 吹けば 自(おの)ずと 山かげの 梅も桜も 花は咲くなり」との和歌を詠み上げた。神社は吉事を祝う拍手に包まれ、神事で炊いた「御炊米(みかしぎまい)」は参拝客らに振る舞われた。

四国新聞2019年5月5日



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