布勢神社
ふせじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】布勢神社 讃岐国 寒川郡鎮座

   【現社名】布勢神社
   【住所】香川県さぬき市寒川町石田西3642
       北緯34度15分29秒、東経134度12分12秒
   【祭神】大彦命
   【例祭】9月 第1土曜日 例大祭
   【社格】
   【由緒】天平年間(729−49)行基菩薩石田極樂寺の鎭守として創建
       天正年間(1573−92)兵乱で焼亡
       宝永5(1708)造営
       文化5(1808)造営

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「布勢之宮」と称していた
   【社殿】本殿春日造銅板葺
       幣殿・拝殿・御輿殿

   【境内社】

天平年間行基菩薩が石田に極楽寺とよぶ薬師堂を建て当社をその鎮守としたとある。


由緒

当社は延喜式神名帳に「讃岐国寒川郡小布勢神社」とあり、延喜式内当国二十四社の一なり創建年代詳ならずと雖も極楽寺記に天平年間行基菩薩薬師堂を石田に建て、極楽寺と云い当社をもってその鎮守神と為せし旨記されたれば天平以前の創始なるべし、祭神大彦命を祀る。
大彦命は孝元天皇の皇子に坐して四道将軍の御一人に座す、新撰姓氏録に「阿部朝臣布勢朝臣同祖孝元天皇皇子大彦命の後也」とありて延喜式内神社に、越中国射水郡布勢神社、備前国赤坂郡布勢神社ありて共に大彦命を祀れり。
一説によれば伏雷(ふせいかずち)、則ち雷神なりとも云う。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




布勢神社

延喜式神名帳に載る讃岐24官社の一つである。祭神は大彦命
大彦命は孝元天皇の皇子で四道将軍の一人である。新撰姓氏録によれば命は布勢朝臣、阿部臣の先祖である。
極楽寺記によれば天平年間(1300年前)行基菩薩が石田に極楽寺とよぶ薬師堂を建て当社をその鎮守としたとある。

寒川町商工会

社頭掲示板



布勢神社改修事業竣功記念碑

布勢神社は天平元年(729年)以前に創建され神社であり、祭神は大彦命(第8代孝元天皇の皇子、四道将軍のお一人)であります。また、延喜式内讃岐24社の一社でもあり、古来石田西村の鎮守として崇拝され、格式高い由緒ある神社であります。千数百年の歴史の内、貞享3年(1686年)作の銘のある「面」が当社に現に保存されており、現有の御神輿は明和4年(1767年)10月作のものであります。社殿の修理については、宝永5年(1708年)5月拝殿建更の棟札、文化5年(1808年)9月社殿修復の棟札があったと寒川町史には記述されています。その後も幾度かの修復工事を行い現在に至りましたが、この度、老朽化に伴う、神・拝殿の改修御神輿庫の新築、御神輿の修理などを余儀無く実施する事になりました。布施自治会一戸当たり15万円のご負担をお願い致し、不足財源については、自治会内外の多くの方々に御協賛をお願い申し上げ、多額の御賛同を頂きました。事業は平成14・15両年度にわたり実施し、その総てが竣功致しました。  平成15年9月吉日

社頭石碑



布勢神社

布勢神社は、香川県内の「式内社」24社の中の一つで、昔から「布勢の宮」と称し信仰され、小字名「現在の自治会名」の由来にもなっている神社である。
しかし、この神社がいつ、誰によって創建されたのかは全く分かっていない。
ただ、お祀りされている神様のお名前が「大彦命」といって、孝元天皇(第8代)の皇子で、崇神天皇(第10代)の時に、征討に派遣された四道将軍の一人であり、安倍氏、布勢氏共通の祖先でもあるので、天平元年(729)以前に、この2氏によって「祖神」として創建されたものであろうという推論はある。
また戦国時代に、「兵火で社殿が焼失した」、「否しなかった」と正反対の記述をしている本があるが、いずれにしても、現在の拝殿は宝永5年(1708)5月に再建されたもので、文化5年(1808)に社殿が修復されている。
拝殿は横11m、縦5.3m入母屋造り瓦葺きで、そのすぐ後ろに幣殿があり、更に後ろに1.2m離れて小型ながら千木のある格調高い本殿がある。境内は広1749uで社叢もある。

さぬき市文化財保護協会寒川支部



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