志太張神社
したばりじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】志太張神社 讃岐国 寒川郡鎮座

   【現社名】志太張神社
   【住所】香川県さぬき市志度6442
       北緯34度18分30秒、東経134度13分41秒
   【祭神】天下春命
   【例祭】10月第2日曜日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天長元年(824)6月28日勧請
       天慶8年(884)造営
       永承4年(1049)6月勅賜佛舎利
       治承2年(1178)造営
       応長元年(1311)造営
       明治4年村社
       明治40年10月24日神饌幣帛料供進神社指定
       昭和5年1月31日「志太張神社」と改称

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「志太張大明神」「志多張神社」と称していた
   【社殿】本殿神明造檜皮葺
       幣殿・拝殿・神庫

   【境内社】
   【社僧】宝藏院末寺西光寺

祭神の天下春命の春は、地名や神社名の張と共に垂(はり)または治 (はり)の意味であり、土地をひらく、土地の開墾して農業を営んだ人々が、ひらいた田の豊作を願い感謝したことを意味する。
弘法大師が、天長元年(824)4月、石田の極楽寺を鴨部に移し、「下張神」を鎮守としたという。


志太張神社

鴨部東山の南山に在り
古老云ふ。天下春命を主と為すと。これ即ち天思兼命の子なり。
寳蔵院極楽寺記に云く、天長元年4月、弘法大師勅を奉じて、石田の極楽寺を鴨部に移し、下張神を以て鎮守と為せりと。
然れども未だ何の時に始めて之を祠るかを知らず。
蓋し下張は地名にして、其の地舊と社とし祭りし所の土后なり。故に就て以て鎮と為るなり。
延喜の時官社に列せらる。今は衰へたり。

全讃史



讃岐国INDEXへ        TOPページへ



順悠社