台地の端の小祠。式社表示無し。手入れ不十分。荒れ始めている。 「神社覈録」には「座門郷鈴鹿村に在す」とあり、当社のことか? 「式内社調査報告」には「『風土記稿』に「諏訪社、神躰幣束、式内石楯尾神社なりと傳ふ」とあるが、石楯尾神社との関係を示す記録類は何一つ残つてゐない。」とある。 |
石楯尾神社 石楯尾は伊波多天哀と訓べし○祭神建南方命、事代主命、(地名記)○座門郷鈴鹿村に在す、(同上)例祭月、日、 官社 文徳實録、天安元年5月丙辰、在相摸國從五位下石楯尾神預官社、 神社覈録 |
鎌倉街道 この道は、鎌倉時代(約800年まえ)に整備され、幕府(今の鎌倉市)との往来に利用されていました。 市内の相模川河岸段丘をほぼ南北に貫き、この道に沿う古い神社や国分寺などの遺跡、古墳などがあります。 社頭石碑 |