石楯尾神社
いわたておじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】石楯尾神社 相模国 高座郡鎮座

   【現社名】石楯尾神社
   【住所】神奈川県相模原市緑区佐野川3448
       北緯35度39分23秒,東経139度7分11秒
   【祭神】神倭磐余彦命
   【例祭】8月23日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】景行天皇40年創祀
       大同元年(806)造営
       天安元年(857)5月20日列官社
       応和元年(961)造営
       建久5年(1194)源頼朝造営
       永禄12年(1569)武田信玄が小田原を攻めたとき焼失

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】本来は巨石を祀る
   【祭祀】
   【社殿】本殿八幡造
       拝殿・幣殿・神樂殿

   【境内社】

景行天皇の御代、日本武尊が東征の折、持ってきた天磐楯(あめのいわたて)を東国鎮護のため此処に鎮め、神武天皇を祀ったのが始まりとされる。
本来は巨石を祀っていたという。
三国峠の頂に「石楯尾神社奥之院」と称する小石祠がある。
神宝として石器時代の石棒が完全な形で残されている。(長さ8.5cm太さ21cmの青黒い石棒)
ご神体は本殿前方部の床2m四方をはがすと現れる巨石で下方は広くなり土中に没しているという。
祭神として名が残る石村石楯は当地の住人で高座郡の県主(あがたぬし)であった。764年の藤原恵美押勝の乱の時、上京中で押勝の首を取り乱を鎮めた功績により高座・大住・鮎川・多摩・都留の5郡を賜った人で、石楯尾神社の保護者であった。


由緒

第12代景行天皇の庚戊40年、日本武尊東征の砌、持ち来った天磐楯 (あまのいわたて)を東国鎮護の為此処に鎮め神武天皇を祀ったのが始まりである。石村石楯は高座郡の県主で当地の住人であった。第47代淳仁天皇の天平宝字8年(1222 年)、先の太政大臣藤原恵美押勝反逆の折、貢の為上京中で押勝の首をとり乱を鎮めた功により高座、大住、鮎川、多摩、都留の五郡を賜ったと言われ、石楯尾神社の保護者であった。幣殿、拝殿は昭和12年に改築されたが本殿は室町時代の建築様式をよく伝えており建築史上貴重なものである。本殿棟札には天保7年11月氏子中、調写、浄善石船、謹記とある。神楽殿は弘化年間(1845年) に建てられたもので、通常は中央部を通路に使用し祭典の折には厚板で覆い、奉納の舞、芝居の舞台として使用出来る様に工夫されている。 平安時代に施行された延喜式[ 延喜5年(905) 撰進、康保4年(967) 施行] に記されている相模の式内十三社の内石楯尾神社は本社ではないかと言われている。
(注) 昭和12年〜13年にかけ郷社への昇格を運動したが、確たる証拠書類ない為昇格ならず現在は指定村社で終わっている。今でも考古学者等が度々調査に訪れる。森 (杜) 木は根周り5mを越す大きな杉が何本もある。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




石楯尾神社

所在地 津久井郡藤野町佐野川3448番地
祭神 神日本磐余彦尊・石村石楯・藤木姫
例祭日 8月25日
第12代景行天皇の庚成40年、日本武尊東征の砌り、持ち来った天磐楯を東国鎮護のため此処に鎮め、神武天皇を祀ったのが始まりである。石村石楯は、高座郡の県主で当地の住人であった。第47代淳仁天皇の天平宝字8年(1222)さきの太政大臣藤原恵美押勝反逆の折、貢のため上京中で押勝の首を取り乱を鎮めた功により、高座・大住・鮎川・多摩・都留の五郡を賜ったといわれ、石楯尾神社の保護者であった。
幣殿・拝殿は、昭和12年に改築されたものであるが、本殿は室町時代の建築様式をよく伝えており建築史上貴重なものである。本殿棟札には、天保7年(1836)11月氏子中・調写浄善石船謹記とある。神楽殿は、弘化2年(1845)に建てられたもので、平常は中央部を通路として使用し、祭礼の折には厚板で覆い、奉納の舞・芝居の舞台として使用できるよう工夫されている。
平安時代初期に施行された延喜式〔延喜5年(905)撰進、康保4年(967)施行〕に誌されている相模の国の式内社十三社のうち、石楯尾神社は本社ではないかと言われている。
昭和62年3月
藤野町教育委員会

社頭掲示板



石楯尾神社

祭神 石楯尾大神産土神その外多くの神々
由緒 創建年代は不明だが、応神天皇の臨幸を仰いだ記録が古文書に見受けられることから、それ以前であることは間違いないといわれる。
江戸時代にば武甲相三州から善男善女がお参りし、幼児の疳虫除けの祈祷を受けたという。永禄12年(1569)に武田信玄が小田原を攻めたとき焼かれたが、その後、再建されて今日に至っている。
例祭 8月26日
交通JR中央線藤野駅から徒歩40分
ポイント園芸ランド町営やまなみ温泉

参拝のしおり



石楯尾神社

所在地 相模原市緑区佐野川3448
指定 神奈川県重要文化財(本殿)
祭神 神日本磐余彦尊(神武天皇)、石村石楯、藤木姫
由緒
日本武尊が東征(大和朝廷の東国への勢力拡大を図る出軍)のときに持って来た天磐楯を東国の安定した治世のためにここに鎮め、神武天皇を祀ったのが始まりとされています。
高座郡の県主で当地の住人であった石村石楯は、奈良時代764年、藤原仲麻呂が政権奪取を目指して起こした反乱で、藤原仲麻呂の首級をとり乱の鎮静に貢献しました。その功によって、石村石楯は高座・大住・鮎川・多摩・都留の五郡を賜ったといわれ、その後石楯尾神社の保護者となりました、藤木姫は石村石楯の妻です。
石楯尾神社は、本来、巨石を祀っていたといわれ、江戸時代には武蔵・甲斐・相模三州から多くの民衆がお参りに来て、幼児の疳の虫除けの祈祷を受けたとのことです。
1569年、武田信玄が小田原を孜めたとき消矢しましたが、その後再建されて今日に至っています。幣殿・拝殿は1937年に改築されましたが、本殿は室町時代の建築様式をよく伝えています。

社頭掲示板



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