大庭神社の旧跡として伝えられている。「大庭神社旧址」の石碑がある。 大庭神社旧跡地の前方丘陵地は縄文前期の土器をはじめ、彌生、奈良時代の住居趾が発掘されており「大庭築山遺跡」と称し、この地は大庭郷を構成する集落と思われる。 平安末の熊野信仰興隆期に新たに熊野神が勧請され、地主神たる大庭神社は、忘れ去られたものと思われる。 神仏分離まで大庭神社の裏手の成就院が管理していた。 |
大庭神社旧跡 この神社は御霊社又は権現社とも呼ばれています。ここが式内社の大庭社旧跡とされたのは江戸時代(文化・文政)のことです。式内社は平安時代(醍醐天皇の時)につくられた延喜式(法律の一種)の神名帳に載せられている神社です。 石造の鳥居は天保4年(1833)山崎六兵衛雅彦が寄進しました」(藤沢青年会議所) 社頭掲示板 |