「天平年中(729ー749)、当国守護の任にありし染谷太郎時忠が当国安土・子宝を願い勧請す。後、その内室懐胎に及び信仰益々篤く、ひたすら安産の祈祷奉るに忽ち霊験現る。依って、社頭以下設備怠り無く造営す。」と伝わる。爾来神号を「易産大明神」「子易大明神」と称え、安産守護神として崇敬される。 染谷時忠は藤原鎌足の玄孫、東大寺初代別当良弁僧正の父で、鎌倉に居住し鎌倉の始祖と言われる。良弁は雨降山大山寺の開山上人である。 |
由緒 鎮座地 伊勢原市上粕屋 (子易) 1763番地 御祭神 神吾田鹿葦津姫命 又の御名 木花咲耶姫命 例大祭 7月15日 御神徳 「天平の頃、当国守護の任にありし染谷太郎時忠が当国安土・子宝を願い勧請す。後、その内室懐胎に及び信仰益々篤く、ひたすら安産の祈祷奉るに忽ち霊験現る。依って、社頭以下設備怠りなく造営す。」と伝う。後に、醍醐天皇の勅願所となり、神階・御告文その他旧記等宝殿に蔵せられしが、天正18年小田原落城の折り、惜しくも亡失す。爾来、神号を『易産大明神』又は『子易大明神』と称え、朝野の別なく尊信極めて篤く、安産守護神として崇敬さる。 御社殿 創立年月不詳、ただ天平年中とのみ。以後、寛文2年修築 神官鵜川権太夫直積代。享保2年再建 (現在の社殿 工匠は荻野の宮大工) 神官従五位下行鵜川大隅守藤原朝臣直賢 代神木 二株 但し、一株は大正12年関東大震災の折り倒木。一株は現存、欅の老樹。 向拝柱 往年より参拝せる者安産の符とし少量ずつ持帰りしたるため細りしもの、現在の柱は三代目なり。 底抜柄杓 妊婦が安産を祈願し納めしもの。 美人図 歌川国経筆 享和2年12月吉日 荻野住人神崎氏等三名納絵馬 昭和35五年11月4日付 県指定重要文化財。 梛 (なぎ) 市指定保存木・当神社の肌守には梛の葉を一枚入れている。その由緒は別紙参照。 解除の次第及び祝詞 伏見稲荷神官荷田宿祢信満 (国学の四大人の一人) が宝永四年、門人鵜川直積に与えしもの [現在、宮司・鵜川氏宅に所蔵] 梛 (なぎ) 暖地に自生するマキ科の常緑喬木で、我が国では、古くから熊野の速玉神社や伊豆の白浜神社・伊豆山神社などで、神木として崇められてきました。奈良の春日神社には、この木の群生林があります。 梛の葉には、竹のように、不思議な平行脈が走っていますが、古よりこれを鏡の裏や守り袋に秘めて、招福厄除としたのも、葉のひとひらひとひらに神霊が宿るとされてきたからです。 梛の木には、女梛と男梛があり、当神社の梛は、球形の種子を結ぶ女梛のほうです。この葉を肌身につけていると、素敵な異性にめぐりあい、夫婦仲も円満に、そして、女性には愛くるしい子宝をもたらすといわれています。 安産守護・子宝・子育ての神として鎮ります当子易明神に、この暖地の喬木がこれほど太く、大きく育っていることも、御神徳のたまものと拝察されます。 尚、梛は寒さや霜に弱いので、この地方の気候では、ある程度大きくなるまで霜よけをしないと育ちません。現在、市指定保存木になっています。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
神奈川県指定重要文化財 板絵著色歌川国経筆美人図絵馬 指定日 昭和35年11月4日 縦27.5cm 横83.0cm この絵馬は厚木市上荻野出身の、浮世絵師歌川国経によって描かれました。花魁を中心に左に新造(花魁付きの若い女性)、右に禿(花魁に仕える十歳前後の少女)が描かれています。 絵馬の額面右上には「東都一陽斎歌川豊国門人国経画」と絵師名が、右下には「上萩野 願主神崎半兵衛」、左下には「綱島佐七、神崎長佐衛門、斉藤伝右衛門」と奉納者の名が記されています、奉納した人々もまた、国経と同じ厚木市上茂野の人であったことが分かります。 歌川国経は、本名を斎藤源蔵といい、安永六(一七七七)年に生まれました。長じて、浮世絵界で名筆といわれ、美人画、役者絵を得意とした歌川豊国(1769〜1825年)の門人となりましたが、絵師としての活動は少なく、作品はわずかしか残されていません。この絵馬は、国経が26歳の時に描いたものといわれています。国経は、文化5(1808)年に32歳の若さで生涯を終えています。 日向の浄発願寺の入口には、国経を偬ぶ六角形の供養塔が今も静かにたたずんでいます。 平成17年3月 伊勢原市教育委員会 社頭掲示板 |
小易明神比比多神社由緒 鎮座地 伊勢原市上粕屋字小易1763番地1 御祭神 神吾田鹿葦津姫命又の御名木花咲耶姫命 例大祭 7月15日 御神徳 「天平の頃、当国守護の任にありし染谷太郎時忠(藤原鎌足の玄孫で関東総追捕使)が当国安土子宝を願い勧請す。後その内室懐胎に及び信仰益々篤くひたすら安産の祈祷奉るに忽ち霊験現る。依って社頭以下設備怠りなく造営す。」と伝う。後に醍醐天皇の勅願所となり、神階・御告文その他旧記等宝殿に載せられしが天正18年小田原落城の折り惜しくも忘失す。爾来神号を「易産大明神」又は「子易大明神」として称え、朝野の別なく尊信極めて厚く安産守護神として崇敬される。 御社殿 創立年月不詳 ただ天正年中とのみ 以後、寛文2年修築 神宮鵜川権太夫直積 代 享保2年再建(現在の社殿 工匠は萩野の宮大工) 神宮従五位下行鵜川大隅守藤原朝臣直賢 代 御神木 欅の老樹 1株 梛(なぎ)1株 共に市指定保存木 当神社の肌守には梛の葉が入っている。(その由来は別紙参照) 向拝の柱 往年より参拝者の子宝安産の符として削り持ち帰ったため細りしもので、現在の柱は三代目と言う。現在は社殿保持のため削るのを禁止、神供米を配布。 底抜柄杓 妊婦が安産を祈願し納めしもの 美人図江馬 歌川国経筆 享和2年12月吉日萩野住人神崎氏等三名納 昭和35年11月4日付 県指定重要文化財 解除の次第と祝詞 国学の四大人の一人伏見稲荷の神官荷田宿根信満が宝永4年その門人鵜川直積に与えしもので貴重な文献である。(現在神官鵜川宅に所蔵) 社頭掲示板 |
比比多神社 天平の頃、当国守護の任にありし染谷太郎時忠が当国安土・子宝を願い勧請す。後、その内室懐胎に及び信仰益々篤く、ひたすら安産の祈祷奉るに忽ち霊験現る。依って、社頭以下設備怠りなく造営す。」と伝う。後に、醍醐天皇の勅願所となり、神階・御告文その他旧記等宝殿に蔵せられしが、天正十八年小田原落城の折り、惜しくも亡失す。爾来、神号を『易産大明神』又は『子易大明神』と称え、朝野の別なく尊信極めて篤く、安産守護神として崇敬さる。 神奈川県神社庁 |
細くなった向拝の柱(由緒) 参詣者が子宝安産を願い少しずつ削り持ち帰ったため細ったもので向って左が男子右が女子出産祈願と言う。今の柱は三代目と言われている。現在は社殿保存のため削ることを禁止。肌守りに神供米をつけて配布している。 社頭掲示板 |
板絵著色歌川国経筆美人図絵馬 神奈川県指定重要文化財 板絵著色歌川国経筆美人図絵馬 指定日 昭和35年11月4日 縦 117.5cm 横 83.0cm この絵馬は厚木市上荻野出身の浮世絵師歌川国経によって描かれました。花魁を中心に左に新造(花魁付きの若い女性)、右に禿(花魁に仕える十歳前後の少女)が描かれています。 絵馬の額面右上には「東都 一陽斎歌川豊国門人国経画」と絵師名が、右下には「上荻野 願主神崎半兵衛」、左下には「綱島佐七、神崎長佐衛門、斎藤伝右衛門」と奉納者の名が記されています。奉納した人々もまた、国経と同じ厚木市上荻野のひとであったことが分かります。 歌川国経は、本名を斎藤源蔵といい、安永6(1777)年に生まれました。長じて、浮世絵界で名筆といわれ、美人画、役者絵を得意とした歌川豊国(1769〜1825年)の門人となりましたが、絵師としての活動は少なく、作品はわずかしか残されていません。この絵馬は、国経が二十六歳の時に描いたものといわれています。国経は、文化5(1808)年に32歳の若さで生涯を終えています。 日向の浄発願寺の入口には、国経を偲ぶ六角形の供養塔が今も静かにたたずんでいます。 社頭掲示板 |