松田小学校西に接して鎮座する。 現在も神社の近くに酒田、松田などの地名が残っており、寒田もその一つである。「寒田」は「神聖な田」の意味であろう。 創建当時の神祭に使用されたといわれる椀が一組保存されている。弥生時代後期のものとされている(高椀、高さ8.8cm口径11.7cm 低椀、高さ6.8cm口径12.3cm)。 弥生時代後期にはすでに当地で神祭りが行われていたと思われ、その後現在地より移転した形跡はない。 幣殿の右側に、「腰掛石」と称す石がある。この石には倭建命が腰を掛けたとの伝説がある。 古代の磐座の遺称でないかと言われている。 |
寒田神社 祭神 倭建命 弟橘比売命 菅原道真公 誉田別命 由緒 古風土記残本や新編相模風土記稿によると、十六代仁徳天皇3年(315)11月の創建とあるが、それ以前弥生時代後期には、創建当時の神祭に使われたと云われる欅白木の椀大小一組が宝物として保存されている。建久4年(1193)、源頼朝は松田御亭より年々玄米十石を奉献寛永3年(1626)には徳川家康より朱印地百五十石を寄進されるが、承応3年(1654)酒匂川の氾濫により朱印地社殿等殆どを流失し、慶応4年(1868)に再興され、その本殿は現在も往時のままである。 例祭 7月31日 交通JR御殿場線松田駅より徒歩5分小田急線新松田駅より徒歩8分 参拝のしおり |
寒田神社 昭和48年12月1日 松田町重要文化財指定 寒田神社御神宝(碗一組) 時代 弥生時代後期 寸法 全高 口径 高台径 高台高 高碗 8.8cm 11.7cm 6.5cm 3.5cm 低碗 6.8cm 12.3cm 6.9cm 3.0cm 本品はいずれも神社創建当時より御神宝として鄭重に保存されてきたもので、高台が特に高くロクロ目荒く、表面が輪なりにごつく、あたかも縄文のように見える、なお全体の形はふっくらとして量感に富み、誠に格調高く感じられ稀に見る逸品である。 昭和49年6月 松田町教育委員会 社頭掲示板 |
寒田神社 松田町重要文化財(史跡) 西暦400年頃の古代に創建されたと言われる由緒ある神社で、延長5年(927)に国が作成した「延喜式神名帳」に、相模国十三座の内「足上郡一座小寒田の神社」と明記されています。 古代には、箱根越えの旅人が足柄道の通行の途中、この神社に旅の安全を祈願したと言われ、倭建命が東征の折に立ち寄られたと伝えられています。 祭神は倭建命、更に文明4年(1472)に弟橘比売を合祀、大正2年に天神社2柱、昭和36年に□子八幡社を合祀しています。 神宝の椀 松田町重要文化財(工芸) この椀は、弥生時代後期の作と言われ、神社創建の頃から御神宝として保存されています。 材質はけやきで塗りの跡はなく、高台が特に高くロクロ目が荒く表面が輪なりにごつくて縄文のように見えます。 なお、全体の形はふっくらとして量感に富んでいて、格調の高い作品です。 社頭掲示板 |
松田大名行列 昭和46年6月10日 松田町重要無形文化財指定 松田大名行列 松田町大名行列保存会管理 寒田神社大祭典に江戸時代より行われており、その起源は詳かでないが文政13年徳川幕府に差し出した「人別一紙目録」にはその編成、服装等詳細に記されており、以来幾星霜幾多の変遷を経てきたが、明治初期藩制廃止に際し、小田原城主大久保家の奴振りの師範を招いて指導を受け、一層充実し、小田原藩十一万三千石の格式により今日まで受け継がれてきた。 昭和46年同保存会が主軸となり、衣装、調度品並びに御駕籠を新調、保存会員の拡大を図り、益々盛大となってきた。 演技の中心は奴振りで行列のかけ声と共に演技振りを行いその変化に富み独特の風格を持っていることで世に知られている。 昭和49年6月 松田町教育委員会 社頭掲示板 |
寒田神社 仁徳天皇3年(315年)ご創建(古風土記残本や新編風土記稿による)と伝えられる古社です。<相模国延喜式13社の一つ> 御神宝として弥生時代後期の白木の椀大小一組が伝えられています。寛永3年には、三代将軍家光より150石の朱印地を賜る等しましたが、その後酒匂川の洪水で多くの建物を流出した歴史があります。境内には樹齢数百年以上の古木が残り、諸願成就の篤い信仰は今日に継承されています。 公式HP |
松田町大名行列 昭和46年6月10日指定 松田町民俗芸能文化財 松田町大名行列 松田町大名行列は、明治の初め、殿様の大名行列の形を寒田神社の祭礼行事の中に取り入れようと、大久保藩ゆかりの方にお願いして許可を得て、「奴振り」の師匠から伝授ざれたのが始まりだと言われています。従って最初の頃は大名行列というよりは、祭りの行列の中へ「奴振り」を組み入れたものとして演じられ、親しまれてきました。 神社祭礼の日に神輿や天狗の行列の中に加わって町内を巡行していましたが、戦後になって町行政と分離することになり、昭和51年に「大名行列保存会」という組織で運営されることになりました。 本町の大名行列の特色は、寒田神社社誌にある祭礼行事の中の「赤坂奴」にあたる部分がその中心をなすもので、弓、先箱、毛槍、大鳥毛の道具を使用する「奴振り」と呼ばれるものです。 昭和52年に神奈川県民俗芸能五十選の一つにも選ばれました。また、毎年8月、町の観光まつりの目玉として町内を巡行し、その人気を高めています。 平成27年月 松田町教育委員会 社頭掲示板 |
寒田神社 一,鎮座地 神奈川県足柄上郡松田町松田惣領1767番地 一、祭神 神倭建命 弟橘此売命 誉田別命 菅原道真公 一、由緒 ご創建は仁徳天皇3年(西暦315年)と伝えられ平安時代には延喜式の神名帳に相模国の十三社の一として載っている古社です。 思うに一万年ぐらい前から堆積や地震による隆起により足柄平野が形戒され開拓が進められてきた過程で人々の心の拠所としてこの地に建てられた神社であります。 源頼朝はしばしば立ち寄った松田亭より年々玄米十石を奉献し徳川家光も朱印地百五十石を寄進するなど尊崇されてきました。 時代はさがってアメリカ最初の宇宙飛行士ジョン・グレンさんも当社の祈祷神札を受けて無事成功され大願成就の参詣をされた。 昭和16年に県社になり昭和43年には神杜庁より献幣使の参向する神社に指定されている。 一、例祭日は7月31日 社頭掲示板 |
寒田神社 寒田は佐牟太と訓べし○祭神日本武尊、(風土記)○松田惣領に在す、(地名記)例祭月日、○惣國風土記七十四残欠云、寒田神社、大鷦鷯天皇御宇3年乙亥11月、所祭日本武尊也、神貢百束 神社覈録 |
郷社 寒田神社 祭神 日本武尊 創立年代詳ならず、但、古風土記残欠に、「塞田神社 大鷦鷯天皇御宇3年乙亥11月所祭、日本武尊神貢百束」と見えたり、中世、寒(サム)をカムと誤読し神字を充て、神田神社と称せり、延喜の制式内小社に列せらる、特選神名帳に説あり、云く 「今按、社傅祭日本武尊ト云ルハ、惣国風土記ノ説ニテ信ジカタシ、注進状ニ、此社酒匂川ノ上ニシテ、田ノ中ニ川岸ニ向ヒテマセリ、酒匂川ハ相模ノ転ニテ、相模田神杜ナラン、古老ノ説ニモ、社地ヲ相模田ト号スト云伝フトアルハ、由アル事ナルベシ、姑附テ考ニ備フ」 亦神名帳考証に云く、「寒田神社、素戔鳴尊、豊後国西寒田神社出雲風土記云、須佐能哀命須佐田定給、日本紀云、素戔鳴尊到新羅国神社考、縁起云、足柄明神渡唐」 と、明治6年、郷社に列す、建物は本殿、拝殿、神楽殿、境内地は808坪(官有地第一種)あり 明治神社誌料 |