一帯は縄文期の貝塚であることから,古い祭祀にかかわる神聖な場所だったとも推測される。式内社越敷神社(猿八に鎮座)は初めこの地に祀られていたという。 当社は,佐渡に流罪となった順徳天皇の皇子を祭る神社だと伝えられている。皇子は千歳宮成嶋親王と呼ばれている。 |
三宮神社 創立年暦詳ならざれども順徳上皇御遷幸後、二皇女一皇子御降誕の第三の宮に御座坐す御母は供奉の宮人右衛門佐御局、嘉禎3暦年御降誕御名は成島親王と申し千歳宮と称へ奉る、鎌倉よりの沙汰として国府の地頭本間山城兵衛守護し奉り建長6甲寅年11月18日薨去、親王大明神と崇め祀り其後三宮大明神と称へ寛政の頃吉田家及幕府へ出願旧称に復し明治以後更に三宮神社と改称、其6年8月郷社に列せらる。 佐渡神社誌 |