阿部氏の一族引田氏の部曲(かきべ)がその祖大彦命を祀ったものであろうという。鳥居、拝殿、本殿を通して真後遠方に拝される佐渡の最高峰金北山は神体山。 引田部神社の旧地は同村の「こうがい崎」という所にあつたという。この場所は落合橋東端の地点で、現在水田となつているが、湛永地帯であり、地形的にみても旧社地があつた所とは考え難く、神社の神田の場所であつたのかもしれない。 |
引田部神社 引田部神社 延長5年(927)醍醐天皇に上進された延喜式巻第十(神名帳)には、 佐渡国九座の中、雑太郡五座の一つに引田部神社が載せられている。 祭神 大巳貴命 境内社 八坂神社 祭神 素盞鳴尊 合祀 倉稲魂命 例祭日 4月15日 宝物上杉氏制札 天正17年(1589) 佐渡市教育委員会 社頭掲示板 |
引田部神社 引田部は俗に「ヒキタベ」と訓めど雄略天皇の御製にも「ヒケダ」とあれば「ヒケタ」と云ふ可し祭神も宝暦寺社帳及佐渡志に御神号大巳貴命素戔嗚尊子とせる從ふ可し、明細帳に猿田彦命とせるは延宝年中橘三喜の猿田彦之神号を納めしに因りて誤られたる也、國邑志稿に阿部引田臣氏の祖大彦命とせる謂れなきにしも非ざれと今は古きに從つて探らず、讃岐官社考証迫録に引田神社引田村に在り大神引田公の祖大巳貴命を祀るとせる傍証に備ふ可し、延喜式内九社の第三に位し明治6年9月第二大区第二小区の郷社に定めらる。 佐渡神社誌 |
引田部神社 延喜式内社の佐渡国九柱のうちの一つ。祭神は四道将軍の一人大彦命とされている。阿部氏の一族引田氏の部曲(かきべ)がその祖大彦命を祀ったものであろうという。鳥居、拝殿、本殿を通して真後遠方に拝される佐渡の最高峰金北山は神体山であり、山頂の金北山神社は一国総鎮守として大彦命を祀っている。 社頭掲示板 |