「大永年間洪水ありて、小河内の大目神社、真樂寺も小河内川の畔にありしが災害に遭ひて今の地に移れり」と伝わっている。 |
大目神社 延喜式内社、佐渡国九柱の一つ。ニの宮ともいう。祭神は大宮売神(オオミヤメノカミ)とされている。和名抄に見える「大目郷」の神であろう。背後の大目林は神体山である。 「佐渡志」に「徳治2年(1307)7月、吉岡地頭本間遠江守この社を修理せし時の棟札は今も残れり」とある。 佐渡市教育委員会 社頭掲示板 |
大目神社 佐渡百選 島民が選んだ、島の宝 53 大目神社 醍醐天皇の命により編集され、927年に完成した延喜式神名帳に記載された式内社。 当時、地方の名社として崇拝されたと思われる式内社が佐渡島内に九つも存在する。 そのひとつ、大目神社は佐渡二ノ宮ともいわれている。 佐渡百選実行委員会 社頭掲示板 |
大目神社 創紀不詳なれ共延喜式神名帳に佐渡国九座羽茂郡二座並小度津神社、大目神社と見え此地は和名鈔所載の大目郷にして式内の古社也 小川内は旧羽茂郡にしたる一村なりしが明暦中雑太郡に属し後吉岡村に併せられたるなり、又旧羽茂郡椿尾村に鎮座の旧址有りと椿尾亦大目郷内也 其祭神は宝暦寺社帳に御神号大宮売神齊部宿禰太玉命子とあるに拠る明細帳に大巳貴命とせるは誤なるべし、抑本社は当国式内九杜の第二の宮として王朝より武門の世に至迄公私の崇敬厚く朝野郡載承暦4年6月10日神紙官の奏上に当社司等神事を穢し奉れるに依り御体の御トに大目神の崇出で給へる由見えたり、徳治2年7月吉岡地頭本間遠江守社殿を造営せられし時の棟札今尚ほ存せり、往古は杜地神領頗る広大なりしを天正以後上杉氏の爲めに悉く削らる、古検地帳、御園帳等に大目林とあるは其遺称なりといふ。爾後甚だ振はず式内社の幣撰料供進指定に漏れたるは唯此一杜のみなるも誠に遺憾の至りなり 佐渡神社誌 |