若宮八幡社
わかみやはちまんしゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】孫若御子神社(名神大) 尾張国 愛智郡鎮座

   【現社名】若宮八幡社
   【住所】愛知県名古屋市中区栄3−35−30
       北緯35度9分48秒,東経136度54分12秒
   【祭神】仁徳天皇 (配祀)応神天皇 武内宿禰命
   【例祭】5月15-16日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】太宝年間那古野今市場の地に勧請
       大永年中、今川左馬助源氏豊が修復
       享禄5年那古野合戦の時、社殿悉く兵火焼失
       天文8年(1539)再建
       天正12年5月社殿の再修
       慶長15年(1610)名古屋城築城のさい、現在地に奉遷
       明治10年3月14日県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】太宝年間那古野今市場の地に勧請
        慶長15年名古屋城築城のさい、現在地に奉遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【公式HP】 若宮八幡社
   【社殿】本殿
       拝殿・社務所

   【境内社】熊野社・日吉社・天神社・連理稲荷神社・香良洲社・神御衣神社
        恵美須神社・龍神社・秋葉社・産宮住吉社・連理稲荷神社奥宮


天武天皇朝の創祀とも、大宝年間(701〜704年)に現在の名古屋城三の丸の地に創建されたとも伝わり、延喜年間(901〜923年)に再興されたという。かつては天王社(現在の那古野神社)と隣接していたが、天文元年(1532年)の合戦で社殿を焼失し、天文8年(1540年)織田信秀により再建され、慶長15年(1610年)の名古屋城築城の際に現在地に遷座した。
天野信景は熱田神宮の摂社孫若御子神社は遙拝の社ではなかつたかと推定し、別に那古屋の若宮社説を提唱した。


由緒

当社の創建は太宝年間文武天皇の御宇に、那古野今市場の地に勧請されたと伝えられています大永年中、今川左馬助源氏豊が修復を加え、享禄5年那古野合戦の時、社殿悉く兵火に罹り焼失しましたが、織田信秀が天文8年再建、その後豊臣秀吉は社領二百石を寄進し、天正12年5月社殿の再修を致しました。降って徳川家康が慶長15年名古屋城築城のさい、現在地に奉遷し名古屋(那古野)総鎮守と尊称されました。特に徳川藩二代藩主徳川光友卿は、当八幡社に対する信仰が厚く、その事跡は特筆されるものがあります。光友卿は尾張藩祖徳川義直の嫡男として生まれ、父義直の厳正なる教育野下に武人本来の精神である武事はもとより、敬神崇祖の念深く信仰心に敦厚な御方であり、当八幡社に対する信仰は他に異なるものがありました。これは、徳川氏の先祖は源氏であり源氏の氏神は八幡宮であることと、当八幡社は名古屋総鎮守として古来の信仰があり、また光友卿の出生地が氏子区域であるとの里伝に起因していることと思われます。史料によると、寛永2年7月、徳川光友始めて当社を拝し、万治元年12月には城中より装束を渡殿へ整えて社参し、御太刀、馬代を献じられた。また寛文4年には神殿をはじめその他の造営を行い、祭礼を興隆せしめたとあります。その後は代々尾張藩主の崇敬厚く、元禄2年正月神領百石が寄進され、以後営繕は藩主の寄進により行なわれました。明治10年3月県社に昇格、昭和20年3月、戦災に罹り、社殿等悉く烏有に帰しましたが、氏子崇敬者の熱意によって昭和32年5月現在の社殿が造営復興され盛大な御遷座祭が齋行されました。一般には若宮まつりと呼ばれている例祭は名古屋の三大祭の一つとして有名で三百年の歴史があり、16日の本祭には神輿と山車が那古野神社をお旅所としてご神幸が盛大に執り行なわれております。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




若宮八幡社

名古屋総鎮守
社伝によると、文武天皇の時代に那古野庄今市場に創建されたと伝えられております。
901年〜923年(延喜年間)に再興し1532年(天文元年)3月11日織田信秀が那古野城を攻めた際焼失しましたが、1539年(天文8年)に再建されました。
その後、秀吉公より社領二百石の寄進を受け、1610年(慶長15年)家康公が名古屋城築城に際し現在の地に遷座し、武神の神・外敵防護・領内鎮護の神として、武将の厚い信仰を受け、尾張藩二代藩主徳川光友は1664年(寛文4年)に社殿をはじめその他の造営を行い、社僧を廃し例祭の興隆に努め、その後代々の藩主の崇敬篤く、1689年(元禄2年)正月神領百石が寄進され、営繕は明治維新まで藩主により行われました。
1877年(明治10年)3月14日県社に昇格し、1945年(昭和20年)3月19日空襲により焼失しましたが、氏子崇敬者の熱意により1957年(昭和32年)復旧造営しました。1971年(昭和46年)7月1日別表神社に列しました。
5月に行われる例祭は、一般には若宮まつりと呼ばれ名古屋の三大祭りの一つとして有名で、三百年の歴史があり、16日の本祭りには神輿と山車が那古野神社を御旅所として、ご神幸が盛大に執り行われます。

公式HP



若宮八幡社

社伝に文武天皇(在位697〜707)の時代に那古野庄今市場に創建、延喜年間(901〜23)に再興したとある。祭神は仁徳天皇・応神天皇・武内宿祢を祀る。
慶長15年(1610)徳川家康は名古屋城築城にあたり、今の地に移して尾張名古屋の総鎮守とした。祭りは毎年5月15日・16日で、神與が那古野神社へ渡御される。
なお、当社の山車「福禄寿車」は、名古屋市有形民俗交化財に指定されている。 名古屋市教育委員会

社頭掲示板



若宮八幡社

わかみやはちまんしや  愛知県名古屋市中区栄。旧県社(現、別表神社)。創立は天武天皇の御代とも文武天皇の時ともいう。 醍醐天皇の延喜年間(901〜23)再建のことがあり、その後亀尾山安養寺を別当寺とし、12坊を備えて祭祀に務めた。もと名古屋、庄今市場にあったが、名古屋城の築かれた際、神慮によって慶長15年(1610)現在の地に遷し、藩主徳川氏の氏神、名古屋府内の総鎮守としたという。祭神は仁徳天皇・応神天皇・武内宿祢。例祭5月16日。神輿の巡幸に氏子区の年番制による福禄寿の山車が供奉する。この山車は延宝4年(1676)の製作。また4月17日同市東照宮の神與は山車、練りものを従えて、当社に参詣する。東照宮の例祭の慣例で、市中の賑わいとなる。

神社辞典



縣社 若宮八幡宮

祭神 仁徳天皇 応神天皇(左)武内宿祢(右)
当社もと名古屋庄今市場に在り、天武天皇御宇鎮座にかゝる(尾張名所図会、尾張名勝地志、張州志略参取)、一説には文武天皇御宇勧請といふ(社記)、醍醐天皇廷喜年中再営を加へ、後安養寺といふ宮寺を立つ、凡て十二坊あり社記、府志、志略、名所図會参取)、後奈良天皇天文元年兵火にかゝりて焼失せしを同8年再建あり(名所図会、府志、志略参取)、後陽成天皇慶長15年名古屋城を築かるゝ時、神慮にまかせて今の地に遷し、名古屋惣鎮守と崇め、藩主徳川氏の氏神と定め、霊元天皇寛文4年徳川光友社殿を新営し、社僧を廃し神職を置く(社記、名所図会、府志、志略参取)東山天皇元禄2年正月18日神田一百石を寄せらる(志略)、以降営繕及祭祀萬端徳川家より寄進あり、維新の際郷社に定まり、明治10年3月14日縣社に列す。
社殿は本殿、拝殿、神樂殿、神輿殿、神饌所、土藏、社務所等を具備し、境内地3019坪(官有地第一種)、清淨にして樹木鬱茂し、初夏新緑の候の如きはなかなかに、春花の嬌艶にまさるの観あり、今は市内公園の一に数へられ、賓客常にたえす。

明治神社誌料



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