伊福部の連の奉斎する神社であり天平2年(730)に創建された。明治5年郷社に列せられ、同25年に熱田神宮西方に祀ってあった八百万神の本殿を移し、これが現在の本殿である。 |
伊福部神社の由緒のあらまし 御祭神 日本武尊 由 緒 伊福部の連の敬愛する神様であり天平2年(730年)に創建された。 明治5年(1872年)には郷社に列せられ、同25年(1892年)に熱田神宮西方に祀ってあった八百万神の本殿を移し、これが現在の本殿である。 なお、次の四神社も伊福部神社に合祀されている。 秋葉神社 御祭神 火之迦具土命 津島神社 〃 建速須佐之男命 村上社 〃 伊都岐島姫命 八幡社 〃 応神天皇 社頭掲示板 |
伊福郷之碑 伊福という地名は、もともとこの地に伊福部連(いふくべのむらじ)という氏族が居住していたことによるといわれており、伊福部神社も伊福部連の祖先を祀ったものである。 しかし、中世以降「伊福」が転じて「伊麥」と称すようになったため、明治22年に県知事に願い出て「伊福村」に変更している。 この碑文は、その経緯や伊福部連について説明をしたもので、明治22年に建てられている。 あま市教育委員会 社頭掲示板 |
郷社、伊福部神社 祭神 日本武尊 社傳に云く、天平年中東光寺住職一徹法師社務中、戸田前波高く、村里之れが為めに浸蝕されんとし、村民困却するを見て、法師熱田七社宮を勧請して國土安全の祈祷を行ひしに、高波静まりて難を免る、是より里民当社に帰依し厚く崇敬の誠を致ししが、其当時頗る大社なりしと、大鳥居下馬札の跡今尚ほ存す、当社は元と七社明神と称し、参考国内神名帳に「正四位伊福部神、天神、諸本無之、熱田座主家藏本、載此一社、不書神階上下、伊麦村七社明神乎」と見え、集説にも「戸田社、伊麦村七社明神歟」といへるが、名所図会は、「今社のさまを見るに、境地も廣く古木も森然として古社なる事疑ひなければ、集説によりて、しばらく当社を伊福部となせるなり」といへりしが、尾張志に伊福部天神云々伊麦村に坐して、七社明神となす」と断ぜり、明治5年5月郷社に列せらる。 社殿は本殿、祭文殿を具へ、境内地1521坪(官有地第一種)あり、因みにいにしへの七社の本地仏の御正体は今に存して当社にありと。 明治神社誌料 |