当社を伊副神社に比定する説もある。 |
由緒 神之倉の熊野社は、現況において何ら河海との関係が持たない様で在るが『鳴海旧記』には「鳴海奥山廻間熊野権現の宮有之。上古は毎年船にて祭礼相渡申候。其節児の舞扇を此河へ落流申候由緒に、扇(オオギ)川と号申由相伝え」とあり、扇川の水運との関連を伝えている 祭神 伊弉冉尊 伊副利部連命を奉齋する 熊野社はもと「イブクマノ神社」の名であり、その標たる幟も在った 弘化4年の鳴海村絵図に(伊吹の神社 クマノ社)と記入があり、江戸末期から明治に懸けて伝承していた。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
熊野社由緒 創祀は延喜式内社と思われる。 日本史に蒙古襲来の項に編纂された古文書「鳴海旧記」に鳴海奥山廻間(神の倉)に熊野権現の宮有り云々。祭礼に船にて川を奉詣の折り童子神楽を舞いその折り扇を川に落とし候云々。由縁を以て扇川の名の基成り。 社頭石碑 |
徳重熊野社 創建は明かではないが、明和8年(1771)社殿大破に依る建立の棟札を遺す。相原村の氏神として奉斎古く『延喜式神名帳』所載不明神社の伊福神社かとも伝える。『尾張志』に諏訪社、熊野社、山神社、相原村にあり、と。明治5年7月28日、村社に列し、明治42年9月1日、供進指定社となる 愛知縣神社名鑑 |