東郷高校東に接して鎮座する。 中世富士山信仰によって祐福寺の護法神、富士山権現として奥の院に明治まで祀られていた。 |
由緒 当社は尾張国風土記逸文祐福寺記等の資料調査により式内社愛知郡の伊副神社とされるのが近年学会の定説である。 その後中世富士信仰の隆盛により祐福寺の護法神富士山権現として寺記の享保15年の項に記されており明治維新迄祐福寺奥の院として祭られていた。 その間当神社が桶狭間の戦い(1560年)の際、今川家の残党による奇火に遭った事が東郷村誌に記されている。明治5年7月28日村社に列格、明治44年12月27日供進指定社となる。県北部の尾張富士(犬山市)に相対する子供の守り神で「虫封じ」の神として愛知郡はもとより遠く知多や岡崎、西尾等にも講がありおもに西三河地方の参拝者が多い。不定期ではあるが石上げ祭りもおこなっている。境内地11576坪。御祭神は木花佐久夜毘売命である。例祭は7月第一日曜。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
富士浅間神杜御由緒 御祭神 主祭神 木花咲夜姫之命(コノハナサクヤヒメノミコト) 脇殿祭神 須佐之男命、大物主命(大黒さん) 御由緒 当神杜は、古来「伊福神社」(イフクジンジャ)と言われ、平安時代初期の国家の律令法制書、「延喜式」(967年制定)にその名が見える事から、1千年を越す歴史を持つ愛知郡最古の神社である。 その後、猿投古窯群の北遷により一時衰退の時期を迎えるが、中世富士信仰の普及により祐福寺の護法神、富士山権現として奥の院に明治維新迄祭られていた。その間、当神杜が桶狭間の戦い(1560年)の際、今川方残党による奇火に遭ったことも知られている。 明治5年、神祇官令により寺領の一部が神域となり整備されたことより「村社」に列格、明治44年春木屋敷にあった須佐之男社、金毘羅社(境内社)を合祀して神祇院より「供進指定社」となった。 その後、太平洋戦争の敗戦により昭和21年神社本庁が設立され、愛知県神社庁所轄「5級社」(旧県社並)に指定され現在に至っている。 御神徳 主祭神は子供の神様、虫封じの神として知られ、北の尾張富士(犬山)に相対し、愛知郡はもとより、豊田、岡崎、西尾など主に三河地方よりの参拝が多い。現在、当神社の井戸は枯渇して無いが、熱田神宮の「井戸のぞき」は当神杜よりの伝承と言われている。 脇殿祭神より、農業神、疫病厄よけの神、国家安泰、家内安全の御利益も厚いと言われている。 例祭日 7月第一日曜 ◎正月は四季桜、早春の梅、春の桜、初夏の皐月、秋の紅葉等1万坪を越す境内地には野鳥も数多く飛来しております。氏子の皆様の憩いの場としてお参り、お散歩にお越し下さい。 ☆虫封じ祈祷、初宮もうで、交通安全祈願、厄よけ祈願、七五三、地鎮祭、増改築清祓等、受け付けておりますので、下記の電話番号までお申し込み下さい。 電話05613-9-2457 宮司 加藤喜嗣 社頭掲示板 |
富士浅間神杜 御祭神は、木之花咲夜姫命(コノハナサクヤヒメノミコト) 当神社は旧名を「伊副神社」と言い(延喜式神明帳愛智郡の項記載)千数百年の歴史を有する近郷無双の古社である。その後、猿投古窯群の北遷により一時衰退の時期を経るが中世富士山信仰の勃興により、「祐福寺」の護法神、富士山権現として信仰される。この様に鎌倉時代達智上人の開山により祐福寺奥の院として「富士浅間の大神」が勧請され、爾来、子供の守り神として尾張、三河より多くの御参りがある。1560年桶狭間の合戦に於いて、今川方の残党により焼失の難に遭ったとの記録されている。明治5年神祇官令により寺領の一部が神域となり、明治44年には春木屋敷に有った須佐之男社・金毘羅社を合祀「共進指定社」となる。太平洋戦争の敗戦により昭和21年神社本庁が設立され、愛知県神社庁所轄「5等級社」となる。15000坪の社有地を有し、四季折々の花が咲き参拝者に喜ばれている。 コノハナサクヤヒメの命は子供の神様、虫封じの神様として知られ北の尾張富士(犬山市)に相対し愛知郡は基より豊田、岡崎、西尾等三河地方の参拝者が多い。今は枯渇して無いが、熱田神宮の「井戸のぞき」は当神社よりの伝承と言われている。脇殿御祭神より農業・疫病・厄除け・の神とも言われる。日本の臍土地神として地鎮祭等の工事安全の祈願も多い。 社頭掲示板 |
式内社 富士浅間神社 当神社は、古名を「伊福神社」と言う。 御鎮座の年代は不詳であるが、西暦925年に書かれた「延喜式」と言う書物に早くもその名が見える事より、少なくとも1000年以上の歴史を持つ近郷最古の神杜である。中世、祐福寺の奥の院として富士山権現を勧請し、爾来福の神、子供の守り神(虫封じの神)として遠くの地方よりも参拝者が多い。 昭和45年、愛知県神社庁よリ五等級を拝命、幣帛供進指定牡となる。 社頭掲示板 |