津田正生は『尾張地名考』で、社名の針名は新たに開墾した意に解されるとし、八田(治田)の氏神、治田天神(一揚庄鳥森(カスモリ)の氏神)を以つて比定している。 |
由緒 鎮座地、名古屋市中村区烏森町 字 村内下66番地、祭神、菅原道真公。尾張国地名考に「延喜式愛知郡針名神社従二位針名天神は尾治針根連を祀る。一楊庄烏森禅養寺門前にある氏神是なるべし云々。一楊庄[野田、厨郷(ちゅうごう)、荒子、高畠、治田(はった)、萬町、烏森の七村]は延喜の頃の新開の地にて、一圓に伊勢大神宮神戸御厨の地なり」とあり、更に「針名、治田みな開墾の謂なり。後世鎌倉時代以来村々分かれ独立して今は烏森の氏神と成りたまへり」と書かれている。これによってわかるように今からおよそ千年ほど前の平安時代に既にこの地の守り神として祭祀されていた。御祭神は菅原道真公で学問の道を志す者の信仰厚く、学問と家内安全、家運隆盛の神として広く崇敬されている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
烏森天神社縁起 ここ 烏森天神社の祭神は菅原道真公であります。 歴史学者故津田正生先生の尾張国地名考に 「柳庄(野田・厨郷・荒子・高畠・萬町・治田・鳥森の七村)は延喜の頃の新開の地にて一円に伊勢大神宮の神戸御厨の地也」とあり。 更に「針名、治田みな同墾の謂也。後世鎌倉時代以来村々わがれ、独立してより今は烏森の氏神と成りたまへり云々」と書かれております。 これによって思うに当天神社は治田の意味大きく、一千年以上も昔から開墾のことを守り給う神として、また菅原道真公の神格を崇め奉る神社として後世の者の信仰を集め給う神社であります。 平成元年(1989)1月8日 平成元年25才厄年一同 烏森天神社奉賽会協賛 社頭掲示板 |