谷間に鎮座する。 社名の「針名」は、祭神の尾張氏の尾治針名根連に関連すると見られる。 慶長17年に徳川家康が岡崎から名古屋への岡崎街道を整備し、当社も集落と共に約800m北の元郷から移ったとされている。 旧地は現在の「郷の島」とされる。 昭和の初めまで行われていた針名神社の天王祭の伝統行事「ちょうちんともし」が昭和57年に復活した。ちょうちん200個余りを吊した高さlOメートル重さ約350kgの柱が立てられ「天王祭」の文字が境内を明るくしている。 |
由緒 式内 針名神社由緒記 (本殿) 一、御祭神は本社に尾張針名根連命を主神とし、大己貴命、大国主命、少彦名命 の三神と、別に八幡社を合祀せらる。 (末社) 一、神明社に天照皇大神を始め、山神社に大山祇神、御鍬社に豊受毘売神、知立社に鵜茅葺不合神、金刀比羅に大物主神の五神を合祀す。 一、天王社=建速須佐之男命 一、針名稲荷社=宇賀能美多麻神 一、針名天神社=菅原道真命 がお祀りしてある。 針名神社は慶長年間に部落と共に約800m北の元郷より現在地に移ったとされている。 創建については延喜年間作成の国内神明帳に従三位針名神社と記載されていることにより約千三百年以前から鎮座されているものである。 以後今日に至まで氏子の手厚い崇敬を受けている。 現在の建物は昭和49年春より増改築をなして昭和51年11月6日に竣工遷座したものである。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
針名神社 御祭神は本社に尾治針名根連命を主神とし大己貴命大国主命少彦名命の3柱と別に八幡社を合祀せらる。 当針名神社は慶長年間部落と共に約800m北の元郷より現地に移ったとされている。 創建については延喜年間作成の国内神名帳に従3位針名神社と記載されていることにより、その時代前から鎮座されているものである。以後今日に至るまで氏子の厚い崇敬を受けている。 社頭掲示板 |
針名神社 針名神社の創建は古く、延喜式神名帳の”従三位針名天神“の記載により、今から約1100年以上前と推察できる。 「延喜式」とは、延喜五年(905年)に醍醐天皇の命により編纂が開始された「養老律令」の施行細則を集大成した全五十巻に及ぶ古代法典である。この「延喜式」の第九巻・第十巻に記載されている神社のことを式内社と呼び、針名神社も式内と冠しているのはこの史実によるものである。 元々は現在地より約800m北、天白川左岸の元郷に祀られていたが、慶長年間(1612年頃)に徳川家康の命により平針宿が成立したと同時期に現在の社地に遷し祀られたとされる。現社殿・社務所・手水舎等は昭和天皇御即位五十年の奉祝記念事業として昭和51年11月6日に竣功した。境内地は約一万二千坪を有し、名古屋市内でも有数の規模を誇る神社である。 公式HP |
針名神社の歴史 針名神社の創建は古く、延喜式神名帳の「従三位針名天神」の記載により今から約干百年以上前と推察できます。 「延喜式」とは、延喜5年(905年)に醍醐天皇の命によリ編纂が開始された「養老律令」の施行細則を集大成した全五十巻に及ぶ古代法典であって、この「延喜式」の第九巻・第十巻に記載されている神社のことを式内社と呼び、針名神社も式内と冠しているのはこの史実によるものであります。 社地の元々は現在地よリ約800m北、天白川左孝の元郷に祀られておりましたが、慶長年間(1612年頃)に徳川家康の命により平針宿が成立したと同時期に現在の社地に遷し祀られたとされております。 主祭神の尾治針名根連命(おわりはりなねのむらじのみこと)は、尾張氏の祖先神で尾張国一宮の真清田神社の御祭神てもある天火明命(あめのほあかりのみこと)の十四世孫にあたり、父の尻調根命(尾綱禰命)とともに犬山市の針綱神社にも祀られていて、古代豪族尾張氏の氏神と考えられております。 配神として、大巳貴命(おおなむちのみこと)又の名を大国主命「(おおくにぬしのみこと)また、記紀神話の国造りの際に全国を回って国土開栲を強力した神とされる少彦名神(すくなひこなのかみ)を祀っており、明治42年に八幡神(品陀和気命(〔応神天皇〕)を合祀しております。 社頭掲示板 |
針名神社 針名は波里奈と訓べし、○祭神檜前舎人連祖歟○鳴海庄平針村に在す、今天神と称す、(集説、府志) ○旧事紀、(天孫本記)天香語山命十四世孫尾治針名根連、」姓氏録、(左京神別下)檜前舎人連、火明命十四世孫波利那乃連公之後也、 神位 國内神名帳云、從三位針名天神、 神社覈録 |