川原神社
かわはらじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】川原神社 尾張国 愛智郡鎮座

   【現社名】川原神社
   【住所】名古屋市昭和区川名本町 4-4-11
       北緯35度9分5秒,東経136度56分40秒
   【祭神】埴山姫命 罔象女神
   【例祭】10月17日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】創祀不詳
       明治5年5月郷社
       昭和14年7月県社
       同20年3月戦禍に遭う
       昭和27年1月造営

   【関係氏族】
   【鎮座地】この地区に古くからあったと思われる。

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「神明宮」と称していた
   【公式HP】 川原神社
   【社殿】本殿流造
       祭文殿・奏樂殿・神饌所・社務所・手水舎

   【境内社】宗像社・津島社・稲荷社・天神社・戸隠社
        秋葉社・川名社・猿田彦社・龍神社


山崎川の河口で、古代は海岸線が入り組んで入り江であったと伝えられる。
創祀については不詳。中世には荒廃していた。


川原神社

平安時代初期の年中行事や制度などを記した「延喜式」に載る「愛智郡川原神社」にあたるとされる格式の高い神社で、日神、埴山姫命、罔象女命の三神を祀っている。
創建年代は明らかでないが、鎮火の神として知られている。
戦災にあい、昭和28年再建された。
境内に大きな池があって、弁財天を祀っているところから、「川名弁天」の名で知られている。
名古屋市教育委員会

社頭掲示板



川原神社御由緒

川原神社は、飯田街道沿に有り、日神、埴山姫神、罔象女神の三柱の神様をお祀りしています。
御創建は、不詳ですが、平安時代醍醐天皇の延喜5年(905)撰上の『延喜式神名帳』に記載されていますので、今から約千百有余年前既に御創建されたのは明らかです。
又「慶長6年(1601)に、松平忠吉(徳川家康の四男)が、神領二十石を寄進気され、当社崇敬の誠を尽くされ、寛文4年(1664)には、藩主徳川光友は、灌概用水「猫ヶ洞」完工にあたって、川原神社神池へ溝渠を通じ初穂水を奉り豊作を祈願した」との記録があります。
明治5年(1872)の社格制度により郷社となり、昭和14年(1937)には県社となりました。しかし社格制度の廃止に伴い現在は等級制度となり、七等級社となりました。
明治5年(1872)5月郷社に列格
境内(8383.5u)弁天池196.6坪(650u)
昭和14年(1937)7月
御本殿、諸殿舎造営(工費十余万円)県社に昇格
昭和20年(1945)3月
戦禍(第42回空襲夜間焦土作戦第二波)にて社務所、手水舎以外焼失
昭和27年(1952)1月
本殿(43坪)造営(工費金500余万円)
昭和37年(1962)
拝殿改築、境内:3067坪、氏子数:4500戸
旧拝殿を稲荷社、龍神社前に移転。
現在両社の拝殿となっています。
平成四年(1992)2月
不慮の火災にて本殿、社務所、社守宅焼失
平成10年(1998)6月
本殿再建御造営
御祭神
日神、埴山姫神、罔象女神の三柱の神様がお祀りされています。
日神(ひのかみ)は、太陽を司る神として農作物を産し、衣食住を満たすなど天地自然の生成に無限の恩恵を賜わる神です。
太陽は、生きとし生けるものすべての共通の命の根源です。皇祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、「天に照り輝く尊い神」という意味を持ち、日神様である事を意味しています。神々の中で最高の神格を持った神様です。
国土安泰、福徳、開運、勝運などが御利益とされています。
埴山姫神は、祭器とする陶器を作る材料としての神聖な土の神であり、大地を司る神です。大地もまた生きとし生けるものに無限の生育を賜わる神そのものです。
罔象女神(みつはのめのかみ)は、水を司る神です。動植物ことごとく水が無くては生きてゆくことはできません。
この三神は、天地水を司り守護し給う神々であり、天地水の無限の力そのものでもあります。
三神を敬い御守護を賜わることは、天地自然の摂理に従って、その広大な恩恵を充分に受け、日夜謝恩の心に満ちて健康で不満の無い明るい生活の基です。
又、埴山姫神、罔象女神の二神は、鎮火の神でもあります。
拝殿・幣殿の天井絵
狩野派の絵師であり、総代を務めた笙弘(しょうこう)氏(本名・渡邊彌助、大正元年12月〜平成15年4月)が、2年2ヶ月かけて220枚を描き上げました。同氏は、祭の時掲げる武者絵提灯60張も手掛けました。
境内には、摂社、末社合わせて十一のお社があります。
摂社
川名弁天社(市杵島姫命(いちきしまひめのみこと))
海上交通・道の守護神、心身ともに美しく、聡明にご守護下さる福の神、金運開運の神、音楽芸術の神、雄弁の神です。
弁才天は、近世になると弁財天となり、福の神、金運、開運の神となりました。
末社
戸隠社(天手力男神)御創建・・江戸時代初期
入方塞(はっぼうふさがり)で暗中模索(あんちゅうもさく)の時、守護して下さる神です。天照大御神が、天の岩戸にお隠れになった時、天の岩戸をお開きになった力持ちの神様です。
津島社(建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと))御創建・・明治晩年
心身の迷い、疫病、災厄を吹き祓って守護して下さる神。
病気平癒の神です。
川名天神社(菅原道真公)御創建・・昭和55年
学問の神、学力向上、進学入学目的達成、書道上達の神、雷神として恵の雨をもたらす農業守護神です。
猿田彦社(猿田彦神)御創建・・昭和37年
土地を守護して下さる神です。
天孫降臨の時、分かれ道に待ち迎えて、天孫を高千穂(たかちほ)峯に導かれました。
秋葉社(迦具土神)
火の神。火難からお守りいただく神です。
山神社(大山祇命)御創建・・明治5年
山を司り守護して下さる神です。
若宮社(仁徳天皇)御創建・・明治5年
応神天皇の第四皇子。応仁天皇を八幡様とお呼びするところから、その御子の仁徳天皇を若宮八幡様とお呼びします。
川名社(戦没者463柱・神社功労者2柱)御創建:昭和二八年、氏子を守護して下さる神です。川名山の日清・日露戦没者を祀る招魂社と、大池の同戦没者を祀る忠魂社を併せて川名社としました。戦後氏子功労者を併せ祀りました。
川名稲荷社(倉稲魂神)
五穀、食物を司り守護して下さる神。五穀豊穣、商売繁盛、家運隆昌の神様です。
龍神社(高お神)
雨水を守護して下さる神です。

由緒書



川原神社

川原神社の境内には摂社、末社をあわせて川名弁天社、戸隠社、津島社、川名天神社、猿田彦社、秋葉社、山神社、若宮社、川名社、川名稲荷社、龍神社の11のお社があります。
川名弁天社(市杵島姫命)(いちきしまひめのみこと)は海上交通。道の守護神、心身ともに美しく聡明にご守護下さる福の神、金運開運の神、音楽芸術の神、雄弁の神です。弁才天は近世になると弁財天となり、福の神、金運、開運の神となりました。
歴史
 川原神社は、飯田街道沿いに有り日神(ひのかみ)、埴山姫神(はにやまひめのかみ)、罔象女神(みつはめのかみ)の3柱の神様をお祀りしています。御創建は不詳ですが、平安時代醍醐天皇の延長五年(927)撰上の「延喜式神名帳」に記載されていますので今から約千百有余年前既の御創建されたのは明らかです。
 「慶長6年(1601)に松平忠吉(徳川家康の四男)が、神領二十石を寄進され、当社崇敬の誠を尽くされ、寛文4年(1664)には、藩主徳川光友は灌漑用水「猫ヶ洞」完工にあたって川原神社神池へ溝渠を通じ初穗水を奉り豊作を祈願した」との記録があります。

公式HP



川原神社

川原は加波良と訓べし○祭神詳ならず○鳴海庄川名村に在す、(集説、府志)、今神明と称す、(府志)
張州府志云、今失社傳、中世號嶋寺、今祠廃矣、天和元年黄檗派僧結小庵居之、遂為佛院、
類社 
伊勢國度會郡川原神社の條見合すべし
神位
國内神名帳云、從三位川原天神、

神社覈録



郷社 川原神社

祭神 日神埴山姫神 罔象女神
創祀年月詳にしがたし、旧北方三里許りを去りて川原といふ所に在り(府志、尾張名所図会、尾州志略参取)、醍醐天皇延喜の制小社に列す(延喜式)、其後今の地に遷座あり、尾張志に「当社は式及国帳に載する所の川原神社なり、此社地の東より北方に属する地殊に卑く上古は大河なりけん形勢見ゆ云々」とありて社名を川原と称するに適へり、明治5年郷社に列る、藤樹甚多く花期に至れば新緑中紫波を漂し点映の美掬すべきものあり。
社殿は本殿、拝殿、神饌所、土藏等を具備し、境内地2527坪(官有地第一種)あり。

明治神社誌料



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