高牟神社
たかむじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】高牟神社 尾張国 愛智郡鎮座

   【現社名】高牟神社
   【住所】名古屋市千種区今池 1-4-18
       北緯35度10分9秒,東経136度55分56秒
   【祭神】高皇産霊神 神皇産霊神 応神天皇
       『特選神名牒』応神天皇

   【例祭】10月14日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】成務天皇の御代に創建
       寛正2年(1461)11月造営
       天文元年(1532)9月造営
       永緑8年(1565)5月造営
       慶長8年(1603)12月造営
       明治初年式内社に治定
       同5年5月郷社

   【関係氏族】尾張物部氏
   【鎮座地】元玄海村白山に鎮座
        慶長築城の時、今の地に移す

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八幡宮」と称していた
   【社殿】本殿流造 
       幣殿・神饌所・樂舎・社務所・倉庫

   【境内社】徳義稲荷社・祖霊社・高牟龍神社・天神社・津島社

千種駅から南100mに鎮座している。
尾張物部氏の武器庫が神社として祀られるようになったとも伝えられる。
江戸時代、當社は一般に八幡宮と称されたが、俗に古井八幡、また、当社の御正体が船に乗る神像であるところから船出八幡とも呼ばれた。
成務天皇の御代に創建とされ、嘉吉元年(1441)を初めとして多くの造営記録が残っている。
高牟神社の境内に湧き出している清水は、「古井(こい・恋)の水」と呼ばれる霊水であり、この水を飲むと恋が生まれるとも長寿の水とも言われている。日本名水百選にも選ばれている。
この水は一年を通じて水温が変化せず、現在は市内でも数少ない井戸の一つとなっている。


高牟神社

式内高牟神社御由緒略記
祭神 高皇産霊神 神皇産霊神 応神天皇
創立 成務天皇の御代(約2000年前)の鎮座、清和天皇の御代勅して応神天皇を配祀されました。
略記 延喜式神名帳(約1000年前の書)所載尾張国17座の一にして国内神名帳に従三位高牟久天神とあり、古くは八幡宮と号して又応神天皇束帯乗船の香木座像により船出八幡と称するのもこれが為で俗に古井の八幡と称されております。
信仰 造化三神中の二柱で陰陽両面を顕はされたむすび信仰の神で万物の生成化育発の生命神と仰ぎ奉るべき最上の祖神様であります。
祭日 10月14日15日

社頭掲示板



元古井伝説地

昔、このあたりは常世(とこよ)の草香島(くさかじま)と呼ばれ、あちこちから清泉が湧き出ていたところで、後に井となり、元古井の地名の起こりとなったといわれ、その跡が今も神社の境内に残っている。また、この付近一帯は、尾張物部(もののべ)氏の集落の一画であったといい、村人たちの武器や農具を納めた倉が、後に高牟(たかむ)神社になったといわれている。
名古屋市教育委員会

社頭掲示板



頌徳碑

宮司石黒蔵三翁
神社本庁講師 森重雄書
翁は明治7年2月24日生れ、資性温厚にして明治41年3月14日請われて実兄小島和泉(権太夫)のあとを受け高牟神社社司兼社掌を拝命す。 「神明奉仕は清掃から」と云う翁の社頭清掃奉仕は夜明け前の暗いうちから一人黙々と一日も休むこと無く続き、或人は清々しい後姿を拝みたくなる様なお方だと尊敬申し上げ、まことに無言の教化を実行した神主さんでした。翁の無私唯々神明奉仕に献身精進の真心が氏子崇敬者の敬神再建の熱意を促し大将5年10月13日本殿社務所其他社殿の造営となり面目を一新し、昭和15年10月県社昇格記念事業と本殿拝殿の新改造営、閑院宮殿下御宿泊所の中村家別邸を齋舘として特に寄進移築となり社頭の整備発展す。昭和27年7月戦災した本殿祭文殿も再建、遷宮祭を奉仕し、翌昭和28年2月4日立春81才を天寿として50年近い神明奉仕を閉ず。
市内戦災神社でいち早く復興し、屈詣の産土神社と繁栄しこれも翁の威徳のお蔭と敬仰追慕の情深きを覚つ、翁の輝かしき神明奉仕の一代も常に内助の功の誉れ高き石黒みつ夫人(明治13年7月13日生、昭和44年3月4日帰幽)が夫君の心を心として誠心誠意の賢婦の労を尽しがあったことを付記す。爰に氏子相議り永くその功を讃へ徳を仰ぎこの碑を建つ。
昭和60年2月4日
高牟神社専務総代 代表 石田錠太郎
神宮評議員 家田照子

社頭石碑



高牟神社

高牟は多加武と読り〇祭神高皇産霊尊、(府志)○古井庄古井村に在す、今八幡宮と称す、(集説、府志)
集説に、高向朝臣祖と考へたるも覚束なし、連胤按るに、こは春日部郡なると同神なるべけれど共に知れがたし、
類社
当國春日部郡高牟神社
神位
国内神名帳云、從三位高牟天神、(一本作高牟久)

神社覈録



郷社 高牟神社

祭神 高皇産霊神 神皇産霊神
成務天皇の御宇の創祀なりといふ(張州府志、尾張名所図会、尾張名勝地志)、清和天皇の御宇社殿を修造して応神天皇を合祀す(府志、名所図会)。一に古井八幡と称す、社伝によれば成務天皇の御宇今の地に鎮座す、始め皇神二神を祭りしが、清和天皇の御宇勅に依りて応神天皇を配祀すと見えたり、古本神名帳には從三位高牟天神とあり(府志)、後水尾天皇寛永11年山下大和守民勝私に修営す(府志、名所図会)、東山天皇元禄12年幕命によりて再建す(府志)、本國帳に「愛智郡從三位高牟久天神とあるは式の高牟神社に当れりとなすものあり、されど之には異説あることにして、式及び国帳所載の高牟神社は御器所村神宮寺の社なるべし(地名考)といひ、或は本國帳の集説本に古井村八幡と云へるは誤なり、古井は古山田郡地なるべしなど云ひ、式内社なることを疑ふものなり、明治5年5月郷社に列す。
社殿は本殿、拝殿、祭文殿、渡殿、神饌所等を具備し、境内地623坪(官有地第一種)あり、御神体は船に乗りたまへる神像なり、されば一に船出八幡ともいふ(名所図会)、当社には武藏坊弁慶の手になれる大般若経五十巻を藏し、又同人手植松と称するあり、高さ五丈周囲一丈ばかりあり。

明治神社誌料



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