長久手町役場北東に鎮座する。 社名の石作は尾張氏の一族石作連に由来するものであろう。和名抄の当山田郡には石作郷の名も見える。 |
由緒 当神社は御宇建立は人皇五十四代仁明天皇の承和元年甲寅の歳(834)愛知群長久手町大字石作字宮後17−1に鎮座。 往古は旧山田郡に属したるも室町時代末期頃山田郡が廃絶と共に愛知群にはいる。古くは神明社と称し、又五社明神とも傳う。 延喜式神明帳に従三位石作天神と、明治五年五月式内郷社を賜る。祭神は建真理根命で天孫本紀に始祖天照国照天明彦、櫛玉驍速日尊(天火明命)の子、天香語山命その子の天村雲命の六世の孫、建田背命の條を次ぐ、建真理根命は石作連桑内連、小島県主等の祖である。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
石作神社 延喜式内 石作神社 当社祭神は建真理根命と申し人皇第54代仁明天皇の承和元年(834)の鎮座である。後人皇第95代花園天皇の正和中これを修造すと伝えられる。 明治5年5月郷社に列せられて今日に至る。 案ずるに当社は所謂式内郷社にして人皇第60代醍醐天皇の延喜年間に編纂せられたる延喜式神名帳に記載せられ其の由緒は極めて遠いのである。 尚当社は往時山田郡に属していたが同郡荒廃して愛知郡に編入せられたという。 社頭石碑 |
文化財 長久手市指定文化財 長久手町誌資料編4 文化財より 1 木造 恵比須天・大黒天 二像 1対2躯 天保9年(1838)製、全高30.8cm と 27.8cm、平成25年6月に創建した恵比寿神・大黒神神社内の祠内に祀られています。 2 猿投三大社明神祭図岩作西之切画軸 一軸 明治時代中ごろ「喜翁玉山(浅井金左衛門)」筆、紙本著色縦130cm・横31.5cm、天保年(1835年頃)に行われた猿投神社の大祭行事に、岩作村が警固隊列を仕立て参加した時の様子を描いたものです。この軸と対をなし同人物の描いた「岩作村東之切」画軸もあり、岩作の住民が所蔵しています。民俗文化財として指定物件に劣らない。 長久手市郷土史研究会 |
石作神社 石作は以之都久利と訓べし、和名鈔、(郷名部)石作、○祭神石作連祖○山田庄岩作村に在す、今神明と称す、愛智郡に属す、(集説、府志) 類社 山城國乙訓郡石作神社の條見合すべし 神位 國内神名帳云。從三位石作天神、 神社覈録 |