市立北高校東に鎮座する。 和銅・養老年間に現地の西北大井池のほとりに創設。中世大水を避け現地に遷という。 街中の平地にあり、社叢はこんもりとしている。 |
由緒 和銅・養老年間(700年代)に大井の池のほとりに産土神として勧請せられた。 中世大水の難を避けて現在地へ鎮座される。 延喜式神名帳に山田郡大井神社と記録される式内社である。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
大井神社 神社等級 8等級 鎮座地 名古屋市北区如意 2-1 御祭神 罔象女命 速秋津彦命 速秋津姫命 相殿神 塩竃六所大明神 御神徳 五穀豊穣 産業繁栄 家内安全 安産守護 延命長寿 交通安全 由緒 社伝に依れば、和銅・養老年間(700年代)に、現社殿の西にあった大井の池のほとりに産土神として勧請せられ、大井神社と称し祀る。 中世大水の難を避けて現在地へ鎮座される。 延喜式神名帳(927)に山田郡大井神社と記録される式内社である。 尾張国内神名帳に従三位大井天神と見え、神社に保存される社名額・□□□□□大明神・大井塩竃神社とあり、古来より如意の氏神として崇敬され現在に至る。 塩竃六所大明神 石黒大炊助藤原重行は、後醍醐天皇の皇子宗良親王を貴船城に迎え、建武の中興に功績のあった越中国余呉郷貴船城主石黒越中守藤原重之の子で、勤王の志を継ぎ度々兵を挙げたが、遂に越中国を去り、一時奥州へ移る。後亀山天皇の明徳4年(1393)に至り、奥州千賀に鎮座される塩竃六所大明神の御分霊を奉斎して、尾張国春日部郡如意郷に来て潜居し大井神社に合祀する。 以来氏神とともに崇敬され現在に至る。 社殿 本殿は、重行の子石黒右馬頭藤原朝房が、嘉吉2年(1442)に再建する。その後元禄11年(1698)に氏子により再建立される。以来290年の風雪に耐え、近隣最古の建物として創建時の三間社流造の原形を伝えてきた。 然るに近年腐朽が甚だしく維持が困難になった。昭和62年の式年に当たり氏子の総意により古来の建築様式を守り、本殿・渡り殿・幣殿を鉄筋コンクリート造、手水舎を木造で造営し、併せて境内整備を行い御神徳の高揚をはかる。 今度の造営は、第三回造営、第二十九回遷座となる。なお20年毎の式年遷座祭の斉行は寛政2年(1790)以降である。 社頭石碑 |
大井神社 社伝に、和銅・養老年間(708-723)の勧請という。『延喜式神名帳』に春日井郡大井神社とあり、『国内神名帳』に従三位大井天神とある神社なり。明徳2辛未年(1391)9月、石黒大炊介藤原重行、奥州千賀の塩竈六所大明神の尊像を負い、春日井郡山田庄如意郷の大井天神の合殿に祀る。これより六所明神と称えた。嘉吉2壬戌年(1442)3月8日、石黒右馬頭藤原朝房社殿を再建、慶安元戌子年(1648)正月、社殿修復から村民の奉賛により如意の産土神となる。明治5年、村社に列格し、明治42年10月26日、供進指定社をうく 愛知縣神社名鑑 |
大井神社 大井は於保為と訓べし○祭神在所等詳ならず 集説に内山田庄如意村六所明神、此有大井池と云り、然れど張州府志に、如意村六所祠、嘉吉2壬戌年藤原朝房建之と戴せたれば、必大井神社とは定めがだし、猫考ふべし、 類社 山城國乙訓郡大井神社の條見合すべし 神位 國内神名帳云、從三位大井天神、 社神社覈録 |