庄内川南岸近くに鎮座する。 別小江の名称は、川の分流をさす意味であろう。 創始年月は不詳であるが、元は千本杉と称する所に鎮座していたものを、天正12年(1584)織田信雄の命によつて、今の地に遷座したという。 明治初年に式内社別小江神社と改称した。 |
略記 社名 宗教法人 別小江神社 鎮座地 名古屋市北区安井町7ノ44 社格 神社庁七等級(郷社) 祭神 いざなぎいざなみのみこと あまてらすおゝみかみ つきよみのみこと すさのおのみこと ひるこのみこと 祭儀 春祭3月12日、例大祭10月12日、秋祭12月12日 由緒 延喜式神名帳に尾張国山田郡別小江神社、本国神名帳に従三位別小江天神とある官社でした。往古千本杉と称する所にありしを天正12年(1584)織田信雄の命により現在地に遷座す。 昭和20年5月(1945)戦火にあい焼失し昭和41年10月(1966)再興す。 境内末社 八幡社 日神社 金刀比羅社 御嶽社 津島社 特記 当一社は古くとり安産、小児の守護神と寿命の神様として源義家、為義郷を始め織田・豊臣・徳川公代々の崇敬最も厚かりし神社なり、枯れた杉の大木は(夫婦杉)天然記念物です。 名古屋市の史蹟名勝となつている。 社頭掲示板 |
別小江神社 延喜式神名帳に尾張国山田郡別小江神社 本国神名帳に従三位別小江天神とある官社です。 往古千本杉と称する所にありしを天正12年(1584)織田信雄の命により現在地に遷座す。 昭和20年5月(1945)戦火にあい焼失し昭和41年10月(1966)再興す。 式内六所明神と称号され、延喜式神名帳に尾張国山田郡式内従三位別小江天神と記されており、末社の八幡社は、安産の神と称され、世俗に、安井の里でできたわらを敷くと安産疑いなしと伝えられております。 平安時代の「延喜式神名帳」に記録が残っている由緒正しき神社です。 公式HP |
清正橋 慶長15年(1610年)加藤清正が徳川家康に願い出て、天守閣の石垣工事を竣工しました。 工事が始まったのは、その年6月暑いときに採石・運搬・寸法調整を機械なしで行う大変な工事ですが三カ月足らずで完成しました清正は、巨石の運搬に際し修羅に乗せて運ぶとき、自ら音頭をとって石の上に乗り、気勢を上げ木遣り(きやり)を歌わせ民衆の老若を問わず綱をとって運んだと伝えられています。 これが世に「清正の石曳き」といわれています。 この石橋は、名古屋城築城の折に、加藤清正の命により稲置街道に架けられた石橋、「清正橋」の一部です。 社頭掲示板 |
別小江神社 当社は「延喜式神名帳」に山田郡別小江神社、「尾張国神名帳」に従三位別小江天神とある式内社で、往古は六所明神と称したという。 祭神は、伊弊諾尊をはじめ六神。 以前は、ここより約300m東北の干本杉にあつたが、天正12年(1584)織田信雄の命でここに遷座したという。昭和20年の空襲で焼失したが、41年に再興。 大祭は、毎年10月10日から三日間。神輿も出て賑わう。 境内の末社の一つ、延喜八幡社(祭神は神功皇后と応神天皇)は昔から安産・小児の守護神として住民の崇敬が厚い。 名古屋市教育委員会 社頭掲示板 |
別小江神社 別は和氣と訓べし、小江は假字也、○祭神在所等詳ならず 連胤按るに、春日部郡乎江神社の別宮なるべし、されど今共に在所だに志れずなりしには、いかにともはかりがたし、集説に、物部印葉連之弟大別連歟と云るは例の推量りなるべし、 神位 國内神名帳云、從三位別小江天神(一本作大江) 神社覈録 |