大乃伎神社
おおのぎじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大乃伎神社 尾張国 山田郡鎮座

   【現社名】大乃伎神社
   【住所】名古屋市西区大野木 2-233
       北緯35度13分2秒,東経136度53分51秒
   【祭神】伊弉諾尊 (配祀)伊弉册尊 大日霊尊 月読尊 蛭児尊 素盞男之命
   【例祭】10月15日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】由緒不詳
       天和元年(1681)城主塙完悦社殿重修
       安永8年(1779)7月大洪水、社殿流失
       明治5年5月郷社
       明治40年10月26日神饌幣帛料供進指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「六所(大)明神」と称していた
   【社殿】本殿流造銅板葺
       祭文殿・拝殿・社務所・参集所・手水舎・収藏庫

   【境内社】福神社・金刀比羅社・津島社・児宮社・天神社・市場社

庄内川北岸、大野木小学校南に鎮座する。
古来よりこの大野木の地に鎮座し、社名は地名に由来する。
当社を大乃伎神社に比定する考えが従来の通説であり、他に有力な伝承地はない。
安永8年(1779)7月および8月に当地を襲つた大洪水によつて記録類は流出し、由緒不詳となる。
境内地に四株の菩提樹があつて建仁寺の栄西入宋の時持ち帰ったものと同時期のものとされている。


由緒

鎮座地、名古屋市西区大ノ木2丁目233番地。
祭神、伊弉諾尊、伊弉册尊、天照大御神、須佐乃男尊、月読尊、蛭子尊、創始年代は詳らかでないが「延喜式 神明帳」に大乃木神社と登載され「尾張国神明帳」にも従三位大乃木天神と記されている、安永8年(1779年)庄内川氾濫し大洪水のため文庫流失して現在、確固たる由緒を知る由もなく、天和2年(1682年)5代将軍綱吉に仕えた春日井郡の城主、塙宗悦の寄進により修復せりと言う、明治5年5月郷社に列せられとある、明治40年10月26日指定社となる。大正10年5月31日市場社と児宮社と天神社と津島社を境内神社として合祀した、昭和11年5月15日社殿を改築する。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




大乃伎神社のボダイジユ

このボダイジユは、尾張名所図会に、「境内に菩握樹の大木ありしが今枯れて、ヒコバエのみ残れり」と書かれた木と思われる。 根株の周りは、二・五八メートル・ヒコバエ四本が大きく生長している。
昭和53年12月、名古屋市指定交化財(天然記念物)に指定された。
ボダイジユ(しなのき科)は、栄西(1168年)が天台山から持ち、帰つたといわれる中国原産の木でお釈迦様と関係のあるインドボダイジュ(くわ科)とは別種である。
名古屋市教育委員会

社頭掲示板



大乃伎神社

創始年代は詳らかでないが、延長5年(927)制定の「延喜式神明帳」に大乃木神社と登載されている。昭和57年(1982)の調査で、天和元年辛酉(1681)徳川四代将軍家綱の幼時の侍医 塙宗悦現在の神殿を寄進せりとの棟札あり。その祖は天正年間まで当所の城主という。

社頭掲示板



大乃伎神社

大乃伎は於保能芸と訓べし〇祭神伊弊諾尊、伊弉冊尊、大日霊貴、月読尊、素箋鳴尊、蛭児神、(府志)○山田庄大野木村に在す、今六所明神と称す、(集説、府志)
張州府志云、社内有大菩提樹一株、其大可二囲半、已枯朽尚有葉数株、可知其祠年代久遠也、
神位
国内神名帳云、從三位大芸天神、

神社覈録



郷社 大乃伎神社

祭神 伊弉諾尊 伊弊冉尊 天照大御神
須佐之男尊 月読命 蛭子命
旧と六所明神とも称す、安永8年洪水の為め文庫流失して、創立年代詳ならすといへども、当社は延喜式内社にして、奉唱国帳に「従三位大・天神」。参考に「從三位大乃伎神社、天神、一本作正四位下大・、大野木村六所社是也」、とあり、故に本社一に六所明神と云ふ、明治5年5月郷社に列せらる。
社殿は本殿、拝殿、祭文殿等を具備し、境内地539坪(官有地第一種)あり、域内に元と大菩提樹ありしが今は亡し、張州府志に云く、
「社内有大菩提樹、其大可二囲半、巳枯朽尚有葉数株、可知其祠年代久遠也、」
と、尾張名所図会更に記して云く、
「菩提樹は云々建久元年はじめて我朝に渡し、筑紫の香椎の神祠に植ゑしが、此樹の日本にわたりしはじめなりと、元亨釈書に見えたり、当社の木も其頃に植ゑし物なるべし、されば式撰よりは三百年程後の物なり、」
因みに特選神名牒は当社祭神につきて、「六所明神と云ふと云れど、祭神六座は六所と云によりて、後人の強て作れる説なるべし」といへり。

明治神社誌料



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