|
「児子宮」「児子八幡社」と通称されている。 元々霊源寺(元志賀町)の門前に「児御前の社」として鎮座していたが、中世に現地に遷座し、児子社へと改めたという。 『名古屋市史』によると、児子宮はもともとは児の宮、あるいは児の御前社とよび錦神社の東、西志賀村にあった。 明治7年現在の東志賀の地に移転 大正時代には、4月14日より30日まで、子供の「はやて」〔疫痢〕よけのまじないとして赤い丸をひたいに書く神事があった。この時には、一日に二万人の人が参拝したという。 |
|
由緒 不詳なれども末社児子社は古来より虫封じの神として信仰深く戦前に於いては繁栄した神社である。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
|
児子社 創建は明かではないが、境内社の天神社は宝永2年(1705)正月社殿修復の事あり本社はもっと古い宮社なり。明治5年、村社に列格し、昭和5年、指定社となる。昭和25年5月14日、の空襲に社務所は炎上したが神慮により社殿は無事、境内社の児子社は昔から虫封じの神として霊験高く参詣者で社頭は繁盛したという 愛知縣神社名鑑 |