本郷小学校北東。東名高速の西に隣接して鎮座する。 神社の西、三十間ばかりの松が枯朽した所を里人は宇禰良、和爾良、宇爾良、於禰良などといった。 その地で雨を所念した所果して雨が降つたという。そして、この地より今の神社は遷座したものという。 藤森神明社境内西に「和尓良以神舊墟」碑がある。現神社の西方36メートル程の所に「和尓良以神社」と呼ばれる神社があり、その跡地に立てられていた石碑。 |
由緒 棟札に貞和三年(西暦1347年)天照坐大御神、尾張志に神明白山相殿社と呼び国常立尊、菊理姫命を祀ると、府志に白山社創建は永享元年とし、神明相殿の由は見えず故後年相殿したとする。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
神明社 祭神 天照皇大御神 豊受大御神 棟札に貞和3年(1347)天照坐大御神神社一宇再建 建徳2年猿投大明神社、弘和元年白山宮修理、他富士浅間社・山神社・天道社建立再建修復、享保9年神明・白山宮葺替等記したる数あり。 尾張志神明白山相殿社と呼び国常立尊・菊理姫之命を祀ると。 府志に白山社創建は永享元年とし、社明相殿の由は見えず故に後年相殿にしたるならんと説く。 社説に上古今の社地より二十間ばかり西方の低地にありしを後此所に移しし由いへりと、和爾良のことも付記。 近代までは、相殿の神々も本殿を離れた地に社を建て、各社名のもとに信仰されしは諸記にあり。 現在は神明社と称え、祭神と他の神々を相殿神として合祀する。 戦後英霊社を再建して末社となす。合わせて斉しく尊崇を厚くする。 社頭石碑 |
神明社 記 念 碑 明治維新百年祈念事業として氏子崇敬者相計り 新規に社殿敷地を定め神明社造営計画を進め社殿様式は総て御祭神に依り神明風として社殿 社務所 水屋 参道 林苑計画を施行し建物はすべて耐久性の構造を主体に一部木造を配し新時代の神社建築の粋を集め計画施行し尚社号標 灯籠等は特志家の寄贈による 社頭石碑 |