矢田川南岸、香流川北岸に鎮座する。 文禄2年(1593)に創建したという。 社名の由来は安置された菅原道真の像に拠るものという。菅原道真は土師(はじ)氏の出自であり、土師・埴輪の「ハジ」・「ハニワ」と社名和尓良神社の「ワニラ」と近似する処より名付けられたものであろう。 |
由緒 往古当村家は主に武内宿禰3代の孫に当る。 斎庭の連等が親に相成理宿禰を称を給う事となり(和各抄)尾張国山田郡首原の里とあるが当神社である。 当神社の近辺には古墓所が多く石棺ある中にみられる。 延喜式に尾張国山田郡和爾良天神又は本国帳に従三位和爾良天神とあり古社でもある。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
和爾良神社 和示良(かにら)神 社 由 緒 古くからの語り伝えによると、この地に居を構えていた武内宿禰(たけのうちすくね)の子孫が、安土・桃山時代の文禄2年癸巳(1592年10月6日)に創建されたとされている。当時この地は、秀吉の海外出兵等の際の交通の要所として栄えており、宿禰の子孫は平和(安全)を願って社を建て、御神(仁)に武内宿禰を祭った。 創建時、記念として境内に植えられた栃の木が、幹周り三mほどの大木に成長し近隣の人々より、「学問・長生き・五穀豊穣・繁栄にご利益がある」と親しまれ、明治の始めまで「原の天神様」と呼ばれていた。 大木は伊勢湾台風で倒れ、平成始めまで廃木として残っていたが、いつしか姿を消した。 社頭掲示板 |
和爾良神社 文禄2年癸巳歳に猪子石産土神社(猪子石神明社のこと)より別霊して社を創建し、当時流行によりて道實(道真)公の像を安置して、維新の際分霊の因縁により、和示良神社(という)今の名に改称せり 猪高村誌(大正7年版) |