山田天満宮は、上野天満宮、桜天神社とともに、『名古屋三大天満宮』のひとつになっている。 津田正生が『尾張神名帳集説乃訂考』(尾張大國霊神社昭和53年刊)で述べている説である。それは「從三位山田ノ神社(延喜式作小口板木之欠也)天神〔正生謹考〕山田村天神是也、此村の産土神也、祭神詳ならす、戦國以來菅原天神と爲は誤也、」としている。 |
由緒 寛文12年菅原道真公の神霊を太宰府より遷座する。大正15年7月本殿並びに社務所等を改築造営。昭和45年10月8級社に昇級。昭和51年社名天神社を山田天満宮に改める。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
山田天満宮 文教の祖神として、世の崇敬厚き山田天満宮は、贈太政大臣正一位菅原道真公の御神霊を奉祀する神社です。 寛文12年(西暦1672年)四代将軍徳川家綱公が、教育・学問を広く世に広めるため、文教の政治を奨励しました。 当時尾張の国藩主徳川光友公は、家綱公の文教政治を重視し、文教の太祖と仰がれ、その生涯を通じて、垂範され「和魂・漢方・至誠・愛燐」人生の根本義の大道を示された贈太政大臣正一位菅原道真公の御神霊を太宰府(太宰府天満宮)より尾張の国並に、尾張藩の教育学問並び道真公の出世に肖るための祖神としてお迎えし、当宮の地尾張の国春日井郡山田の郷に、文教・出世・厄除祈願宮として奉祀し、尾張藩主を始め、藩士領民挙って朝夕当宮に、教育・学問の上達、開運出世、厄除を祈願遥拝致しました。 更に、光友公は、山田の郷の領民の守護神として御神霊を御鎮座お祀りしたのです。また当宮は、尾張藩(名古屋城)の鬼門の方位に位置するため、領民の「地相・家相・方位・日柄・厄除」等に由来する一切の災禍を除く八方守護神として祈願されています。 折から頻発した悪疫・天災・地変に際し、ご霊験大いにあらわれ山田天神信仰が庶民の間に広がり、崇敬者、日に月に多く繁栄を極め、学問の上達・開運出世・諸願成就・悪事災難除と御神徳は実に広大無辺にあらせ給います。 尚、国道19号線矢田川に架かる橋を『天神橋』と称していますが、この橋名は、当宮の御神威を敬仰致し、交通吉方安全を祈願し、当宮の社名を仰ぎ名付けたものです。 公式HP |
山田天満宮 「社伝」によれば、尾張の二代藩主徳川光友が寛文12年(1672)、藩の学問祈願所並びに名古屋城鬼門の守護神として菅原道真を祀り、社殿を創建したという。 光友は、貞享2年(1685)の熱田神宮造営をはじめとして、諸寺の建立、諸社の再興・修造を行うなど宗教を重んじた。 昭和58年、同区山田町四丁目地内にあった金神社(大将の宮)を合祀した。 名古屋市教育委員会 社頭掲示板 |