『尾張志』(天保12年成立〉の春日井郡神祠の項に「小口ノ神社・延喜神名式に見えたり小ハ山の誤にて愛智郡山口ノ神社あり其処にいふを見るへし」とある。 |
山口八幡社 当神社は古くは山口神社と言われ醍醐天皇の延長5年に編修された延喜式神名帳に、尾張国山田郡山口神社とあり、本国神名帳にも従三位山口天神と記載されている。 その後、承久2年に清和天皇12代の末孫山田次郎重忠が当地に八幡宮を勧請し社殿を造営。貞応2年9月15日に竣工、同時に山口神社を合杞した。山田郡は室町時代中期に荒廃して春日井郡と愛智郡に別れ、山口村は愛智郡に属し、その東端三河との国境を鎮護する神社として祟敬された毎年9月15日に祭事を修め、翌16日の大祭には近郷二十四ヶ村の村民全べてが飾馬を率いて参詣した。社頭には六世期末の古墳を始め鎌倉期の古窯及び当地方最古の鳥居などがあり、往時の隆昌が偲ばれる。明治5年には郷社に列格され、近年まで郷社まつりが盛大に行われた。 山口八幡社 社頭石碑 |
市指定有形文化財 石造鳥居(八幡社) 制作年 延宝5年(1677) 形式・構造 花崗岩製 明神鳥居 規格 高さ308cm 銘文 延宝5年丁巳閏12月吉日 尾州愛智郡山田庄山口村氏子 市内で確認されている石造鳥居の中で最古のもの。 明治以前に建立されたものは、この鳥居と巡間の大目神社(1755年製)の2基のみである。 やや小型ではあるが均整がとれていて姿は美しい。 平成5年2月19日有形文化財(建造物)に指定 瀬戸市教育委員会 社頭掲示板 |
八幡社 この建物は、2005年に瀬戸市及び長久手町で開催された愛知万博『愛・地球博』にNPO法人社叢学会が、神社の森を始め都市緑地や自然の森の保全・拡充を図り、地球環境の向上をテーマに『千年の森・天空鎮守の森』として出展し、資料展示室に使用した東屋です。 山口八幡社では、この理念を後世に伝えようと、東崖及び天空鎮守の森の樹木(京都の北山杉・里桜)を譲り受け、会場より境内に移築・移植しました。 社頭掲示板 |