川島神社
かわしまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】川島神社 尾張国 山田郡鎮座

   【現社名】川島神社
   【住所】名古屋市守山区川村町 281
       北緯35度12分46秒,東経136度57分54秒
   【祭神】伊邪那美命 大苫辺命 誉田別天皇
       (合祀)日本武命 大山津見命 須佐之男命
       『神社要録』『特選神名牒』祭神不詳

   【例祭】10月15日近い日曜日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】孝安天皇2年尾張連の祖沖津世襲の勧請という
       大同2年(807)尾張国連沖津が創建
       明治5年5月 村社
       同15年5月4日社名を熊野神社から改称
       同40年10月26日供進指定社

   【関係氏族】尾張連
   【鎮座地】東山の麓白澤川新堀割の落口近くに鎭座
        その後川村集落の西の地(元宮)へ遷
        その後現地へ

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「熊野大権現」「熊野十二所権現」と称していた
   【社殿】本殿流造(コンクリート造)銅板葺
       祝詞殿・拝殿・社務所

   【境内社】神明社・秋葉社・金刀比羅社・津島社・山神社・御嶽社

庄内川南岸。松川橋南西に鎮座する。
孝安天皇2年尾張連の祖沖津世襲の勧請といい、川島之里鴨渡立江之川上の宇津神木に鎭座したという(『守山市史』昭和38年刊)
神社の西の瀬古地区は條理制の遺構を残していることが知られ、古くから開けていた地であつた。
最初神社は東山の麓白澤川新堀割の落口近くに鎭座し、その後川村集落の西の地へ移り(元宮という)、更に現在の所へ落着いたという。
神社の西方1kmほどの所に元宮という地がある。


川島神社

神社の明細帳に『この社は日本彦国押入天皇(平城天皇)2年(大同2年807)尾張国の連沖津が創建したと伝える。延喜式内尾張の国山田郡従三位川島天神と言うのは此の神社である』と天野信景の『本国神名帳』にも川島神社は春日井郡川村氏神熊野宮である。小田切春江の『尾張名所図会』も川島の神社と記す。明治5年5月、村社に列し、明治15年5月4日、今のように社号を改めた。明治40年10月26日、供進指定社となり、明治44年4月17日字柳原の八幡社と字山際の八剣社又鴻巣の山神社を合祀した。昭和44年5月3日、社殿及び社務所を造営する。同年9月18日、八等級社に昇級した。棟札は江戸初期から現在まで二十余社蔵する

愛知縣神社名鑑



川嶋神社由緒

鎮座地 名古屋市守山区川村町281番地
御祭神 伊邪那美命 大苫辺命 誉田天皇
    須佐之男命 日本建命 大山津見命
例祭日 10月15日
社伝によれば、807年(大同2年)尾張連沖津が創建したと伝える。
「延喜式神名帳」に「川島神社」と記載され、尾張国山田郡十九座に数えられる、創建当初、守山の東山の麓、白沢川新堀割の落口近くにあり、その後川村集落の西の地(元宮)に移り、さらに現在の地に鎮座された。現在、神社の西方約1Kmのところに、元宮という地がある、昔は熊野宮とも称され、江戸時代には「熊野大権現」「熊野十二所権現」と崇められた。
この一帯は昔から庄内川の思恵を受け、農作業の盛んな地であり古くから農業の守護神として崇敬されていた。神社の西にある瀬古地区は、古代の土地制度である条里制の遺構を残していることが知られている。
守山区は、尾張地方でも屈指の古墳密集地の一つである、創祀の地と伝えられる東山の近くにも牛牧遺跡や川東山古墳群が存在する。尾張氏が当社を創建したと伝えられることから、この地方で古代からの豪族である尾張氏の一族の有力者がこのあたりで集落を形成し、当社を氏神として創祀したと考えられる。
明治5年5月村社に列する。
明治15年5月4日今のように杜号を改めた。
明治40年10月26日供進指定社となる。
明治44年4月17日字柳原の八幡社と字山際の八剣社又字鴻巣の山神社を合祀した。
昭和44年5月3日社殿及び社務所を造営する。
昭和44年9月18日八等級社に昇級する。
棟札は江戸初期から現在まで二十余社蔵する。
平成27年10月吉日

社頭掲示板



川島神社

川島は加波之萬と訓べし○祭神詳ならず○田中庄川村に在す、今熊野権現と称す、(考証、集説、)
類社
当国葉粟郡川島神社の條見合すべし
神位
國内神名帳云、從三位川島天神、

神社覈録



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