羊神社
ひつじじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】羊神社 尾張国 山田郡鎮座

   【現社名】羊神社
   【住所】名古屋市北区辻町 5-26
       北緯35度12分26秒,東経136度55分35秒
   【祭神】火之迦具土神 (配祀)天照大神
       『本国神名帳集説』火雷命

   【例祭】10月18日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立年月日は不詳
       慶長18年再建
       天保9年(1838)8月造営
       明治5年村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「神明社」と称していた
   【公式HP】 羊神社
   【社殿】本殿流造木造銅板葺
       拝殿・社務所・参集所

   【境内社】山神社・白山社・秋葉社・津島社・水神社・稲荷社・御嶽社

庄内川南岸近く。三階橋南西に鎮座する。
創祀は詳らかにしないが、群馬県多野郡にある「多胡碑」に関係のある「羊太夫」が、奈良の都に上るときに立ち寄っていたゆかりの屋敷が、この地(現辻町)にあり、この地の人々が、平和に暮らせる為「人心を安らかに」という願いをこめて、羊太夫が火の神を祀ったともいわれ、羊神社と呼び称えるようになったと伝えられている。


由緒

創立年月日は不詳なれど、第61代醍醐天皇の御代にまとめられた延喜式神名帳に、尾張の国山田郡羊神社と記され、本国帳に従三位羊天神とある古社である。神社に保存されている棟札によれば、本殿は慶長18年に再建されたとある。その後天保9年尾張藩主徳川斉温公の時代に改築され今日に至っている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




羊神社

由緒 創立年月日は不詳なれど、第60代醍醐天皇の御代延喜年間にまとめられた延喜式神名帳に、尾張の国山田郡羊神社と記され、本国帳に従三位羊天神と有る古社である。
神社に保存されている棟礼によれば、本殿は慶長18年再建されたとある。その後天保9年、尾張藩主徳川斉温公の時代に改築され今日にいたっている。
また、鎮座地「つじ町」は「ひつじ」から「ひ」をとって名付けたともいわれる。
  里の名を辻というも御社の
   羊の名にし負へるとぞ聞く
昔から氏予区域には極めて火災が少なく「火災除」の神として宗敬者も多い。
太平洋戦争末期(昭加20年5月4日)の名古屋大空襲には、辻町にも多くの焼い弾を受けたが、ほとんど火災にいたらず焼失の難をのがれることが出来た。
これも氏神様の御加護によるものと終戦後、氏子の総意によって感謝祭が斉行された。
昭加31年、名古屋市文化財保存調査委員会により史跡名勝箇所に指定されている。
境内末社
白山社 秋葉社 津島社 御嶽社
山神社 水神社 稲荷社

由緒書



伝説

三国伝来の金毛九尾の狐あり、畏くも時の帝を苦しめ奉りしかば、重臣等相謀りて八百万の神々を集め御平癒を祈祷せらる。この時狐は正体を現はし、天井を貫き雲を呼び舞上る。これ即奈須野殺生石の伝説なり。この時狐につきて羊の方にありし御幣舞上って後を追う。
これ我が地より集り給ひし神様なり。よって此神社を羊の神と云ふ。羊神社の名これよりおこるといふ。火災除の神
 八百萬神の中にも此神の
  御幣は立つ未の方に



羊神社、大にぎわい

新年を迎え、今年の干支(えと)の名前がついた羊神社(名古屋市北区辻町5丁目)に大勢の初詣客が詰めかけている。2日午後になっても行列は50メートル以上もあり、境内にある親子の羊の像の前では、家族連れや若者たちが代わる代わる記念撮影をしていた。
同神社氏子総代の原正広さん(62)によると、今年は破魔矢など縁起物を例年の10倍に増やしたものの、買い求める客が殺到し、「品薄」に。約3千個を用意した、羊が描かれた「福守(ふくまもり)」(500円)は元日朝に売り切れた。再び入るのは1月中旬ごろになるという。

朝日新聞 2015.1.3



羊神社

由緒 創立年月日は不詳なれど、第六十代醍醐天皇の御代延喜年間(西暦901〜922)にまとめられた延喜式神名帳に 尾張の国 山田郡 羊神社 と記され本国帳に 従三位 羊天神 と有る古社である。
神社に保存されている棟札によれば、本殿は慶長十八年(西暦1612年)に再建されたとある。その後、天保九年(西暦1838年)尾張第11代藩主徳川 斉温公の時代に改築され、今日に至っている。
社名の由来
群馬県多野郡にある「多胡碑」に関係ある「羊太夫」(この地の領主)が奈良の都にあがるときに立ち寄っていたゆかりの屋敷がこの地 現辻町にありこの地の人々が平和に暮らせるため「人心を安らかに」という願いをこめて羊太夫が火の神を祀ったといわれ、羊神社と呼び称えるようになったと伝えられている。
地名の由来
鎮座地 辻町は、尾張志に「今、村の名を辻といえるは、羊の省かりたるやとぞ」尾張国地名に「住昔 火辻村といひしを 後世 火の字を忌て単に辻村と書といふ」と記されている。里の名を辻というも御社の羊の名にし負へるとぞ聞く
昭和31年 名古屋市文化保財保存調査委員会により史跡名勝箇所に指定されている。 

公式HP



羊神社

「延喜式神名帳」に山田郡羊神社、「本国帳」に従三位羊天神とあるのがこの神社で、祭神は天照大神、火迦具土命の二柱を祀る。
棟札に慶長18年(1613)癸丑8月5日とある。またこの付近の町名、辻町の語源は「ひつじ」が転じたものといわれる。
名古屋市教育委員会

社頭掲示板



羊神社

一、式内羊神社由緒
一、御祭神
天照大神
火の迦具土神(日本神話における火の神)
一、鎮座地
名古屋市北区辻町5丁目26番地
一、由緒
創立年代は不詳なれど、平安時代第60代醍醐天皇の御代(西暦901〜930年)にまとめられた延喜式神名帳に、尾張の国山田郡羊神社と記され、本国帳に従三位羊天神と有る古社である。
神社に保存されている棟札によれば、本殿は慶長18年(1613)に再建されたとある。その後天保9年(1838)尾張第11代藩主徳川斉温公の時代に改築され今日に至っている。
鎮座地「つじ町」は「ひつじ」から「ひ」をとって名付けた」ともいわれる。
  里の名を辻という御社の
    羊の名にし負へるとぞ聞く
昔から氏子区域には極めて火災が少なく「火災除」の神として崇敬者も多い。
一、社名の由来
群馬県多野郡吉井町にある「多胡碑」(日本三古碑の一つ)に刻されている多胡郡の領主羊太夫が奈良の都へ上るときに立ぢ寄っていたゆかりの屋敷がこの地(現辻町)にあり、人々が平和に暮らせるように「人心を安らかに」という願いをこめて、羊太夫が祀ったといわれ、誰言うとなく「羊神社」と呼び称えるようになったと伝えられている。
尾張誌に「今、村の名を辻といえるのは羊の省かりたるやとそ」尾張国地名考に「住昔火辻村といひしを後世火の字を忌て単に辻村と書くといふ」と記されている。
一、境内末杜
白山神社 萩葉社 津島社 御嶽社 山神社 水神社 稲荷社
一、後記
太平洋戦争末期、名古屋大空襲には辻町にも多くの焼夷弾を受けたが、ほとんど火災に至らず焼失の難をのがれることが出来た。これも氏神様の御加護によるものと終戦後、氏子の総意により感謝祭が再行された。
昭和31年、名古屋市文化財保存調査委員会により史跡名勝箇所に指定されている。

社頭掲示板



羊神社

羊は比都之と訓べし、和名紗、(毛群部)羊、(假字上の如し)○祭神詳ならず○田中庄辻村に在す、今明神と称す、(集説、府志)
集説云、按、旧事紀曰、火之産霊賀突知、云々、比都自者蓋火雷命歟、或曰、伊勢国多氣郡火地神社同神歟、と信がたし、
神位
國内神名帳云、從三位羊天神、

神社覈録



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