片山八幡神社
かたやまはちまんじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】片山神社 尾張国 山田郡鎮座

   【現社名】片山八幡神社
   【住所】愛知県名古屋市東区徳川2−13−26
       北緯35度11分11秒,東経136度55分46秒
   【祭神】天照皇大神 誉陀別尊 菊理姫命
   【例祭】10月18日 例祭
   【社格】旧県社
   【由緒】継体天皇の5年創祀
       天正12年小牧役の戦禍には多くの文献をも焼失
       元禄8年11月造営
       明治5年村社
       明治41年神饌幣帛供進指定
       昭和4年9月県社
       昭和20年戦災により建造物の悉くを焼失

   【関係氏族】
   【鎮座地】継体天皇の5年創祀

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【公式HP】 片山八幡神社
   【社殿】本殿
       拝殿・社務所・神楽殿

   【境内社】宗像社・津島社・秋葉社・金刀比羅社・愛宕社・青麻社・谷竜神社

名古屋鬼門鎮護の社とする。
当社を片山神社に比定する説がある。


由緒

第26代継体天皇の5年、紀元1171年に現在の地へ御鎮座、明治5年村社、昭和四年県社に昇格した。大東亜戦争の災禍により殆どの建物を焼失したが、昭和34年に現在の社殿を復興し 神楽殿及び社務所も昭和49年までに竣工した。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




片山八幡神社

社伝によれば、第26代継體天皇の五年、紀元1171年、尾張国山田郡片山郷即ち現在の地に御鎮座になったと云う。(旧社名を『大曽根八幡社』と云う。大曽根の地名の源なり。)
 室町時代中期においては押領地を有して本地御堂が備わっていたが、後の戦国の世において、度々兵火に遭った上、天正12年小牧役の戦禍には多くの文献をも焼失し爾来甚だしく荒廃したと伝えられている。 尚、一時は熱田神宮にお預けとなり大原与三大夫と申す方がお守役になったこともあります。
 その後江戸徳川の太平の世となり、元禄年中尾張二代藩主徳川光友卿が偶々この地を過ぎし時、森厳なる社地を御覧になり、その荒廃を嘆かれ直ちに東照宮の神主であった吉見民部大輔と其の嫡子左京大夫に命じて社殿以下荘厳なる御造営をせしめ、元禄8年11月その落成を待って御遷宮の祭儀が行われました。 又、境内にお祀りしてありました天照皇大神、菊理媛神の二神も御同殿に合祀されました。
 御造営に於いては、江戸高田穴八幡の御宮に模し、瑞龍公(光友卿別称)の親しく御封を遊ばされたもので、今日に至るもそのままであります。 さらに、山田即斎を使わして同穴八幡の神楽拍子を習得せしめて、之を社職慶徳源之亟直矩に伝えしめた。
 その後、徳川家にては当八幡社を氏神と思召されて年内4度ずつ国内繁栄、五穀豊穣、武運長久の御祈願並びに名古屋市中鬼門除けの御祈祷を勤しむべきと仰付けられ、毎年10月の御神事には御代拝を差向けられ徳川家のお祓いも年三回申上げておりました。
 明治5年、村社に列せられ同41年神饌幣帛供進の指定を受け、昭和4年9月県社に御昇進になりました。 この頃より社殿の大改築を計り、昭和8年御本殿以下新築、移転、修造、参道整備を行い完成に到りましたが、昭和20年大戦の戦災により境内の老樹を始め建造物の悉くを焼失。
 昭和25年応急処置として仮社務所を設け、市の復興都市計画に伴い昭和32年隣接せし神明社及びその末社であった若宮八幡社と稲荷社を合併し境内の大整備を計ると共に、昭和34年御本殿以下幣殿、拝殿透塀並びに斎館渡廊下等の建設をなし、更に昭和44年に神楽殿を、昭和49年に社務所を建設して大体の復興を見ました。
 次いで、平成8年御造営大改修工事を行い平成10年に完工し、現在に至ります。

公式HP




片山八幡神社

社伝によれば、第26代継体天皇の5年(511)の創建とある。天照皇大神、誉田別尊、菊理媛命を祭神とし、かつて境内には十三所社の神を祀っていた。
戦国時代に焼失、荒廃したが、尾張藩第二代藩主徳川光友が元禄八年(1695)に再興した。江戸時代には名古屋の鬼門除けの社として、徳川家の庇護を受けた。
名古屋市教育委員会

社頭掲示板



片山八幡神社

祭神 左 天照皇大神 中 誉田別尊(応神天皇) 右 菊埋媛神
由緒
当神社は第26代継体天皇の御代尾張国山田郡片山郷即ち現在の地に鎮座したと云う。
元亀天正の頃続く戦国時代の災禍を受けて甚だしく頽廃したが祭事の鄭重を守り一時熱田神宮に預けられる。江戸徳川の太平となりて元禄8年尾張家第二代光友卿の深き御敬神の念によりて社殿以下荘厳なる造営を遊ばされ徳川源家の氏神と思召され名古屋市中鬼門除けのお社として崇あられ篤く信仰される。
昭和4年県社に昇格し大改築が成されたが昭和20年の戦災により境内の老樹を始め建造物の悉くを焼失せり。昭和32年隣接せる神明社を合併して境内整備と共に本殿以下現在の殿宇を造営し更に昭和49年社務所を建設して大体の復興を見る。
次いで平成8年造営大改修を行う。
八幡信仰御霊験
平安期頃より源氏の氏神とされ武家の守護神としで信仰される、又、八幡神は最初に外来文化を取り入れられ我国の発展を図られた文化を導く神として、又、母子慈愛の神(母子神信仰)として等多目的な御神徳を有せられる。

社頭掲示板



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